2010-01-01から1年間の記事一覧

7月30日 1998年、7月30日。29歳の私は、自転車を持って台湾に出かけた。今も昔も本さえ読んでいれば幸せというインドアな私だから、無謀な旅に出たのは、恋ゆえに、右も左も分からないくらいの馬鹿になっていたからだった。そして29歳という年齢故の感傷もあ…

白昼

合歓の木のはな いっぽんいっぽん 揺らいで指し示す 日盛りに告げた行方 空が前方にあった頃は みな見渡していたが 幾重にも声を張る 鳥の声に包まれ 滝をくぐり、くぐりして いつか 板塀の町で 後ろの影ごと 見失う 何の意味もないと ほうりだされた姿の 有…

日勤

古い如雨露は 四方に 水を放ち 情けない姿ながら 遠い遷急線に 虹をかけた 改装中の 青空は 廊下の 果てにあり ユーカリがいっぽん 皮を脱ぐ 日暮れまで 留守を守れば すべては終わると 信じて 針を見つめた そして 生きて正午に さしかかれば もう さして大…

中原中也記念館

中也記念館を訪れて、印象深かったことは、中也の残した私信、ノートや原稿用紙に書きとどめた草稿などが、予想を遥かに超えて、数多く展示されていたことである。 展示品は一部であるから、実際残されているものは二時間ほどかけて見たもの以上にまだあるの…

山口へ

この日本に詩集を読む人は、実際どれくらいいるのだろうか―自身の詩集刊行前夜、私は「詩」「詩集」「詩人」などの記事で、何か参考になることはないだろうかと毎日、祈るような必死さでキーワード検索をしていた。 一ヶ月ほど検索を繰り返した頃から、私は…

からだのはばたき

人だって 鳥のように 何かを指して渡ってゆく たましいは 復航のすべを知っていて 季節ごとに 乗り換えてゆくのだ 波打つ 語らいや叫びを 草地から 仰ぎ見る ゆっくりな 鼓動を 持つものとして

君に問う

知っていながら 人を諌められないのは なぜなのだろうと 後の悔いから思えば 奮い立って言うべき時だっ たのだと 夜半の声が言う もうこれよりはと 自らを裁いた 見知らぬ君よ 人とぶつからぬ その流儀も 命あってこそだったのに 人事も 係累も 互いに責めあ…

或る一冊に

情熱とは 思いつきに宿るものではない 曾て、手にした一冊 井上孝治の沖縄 その樹の写真は 道端に疲れて立つ 29歳の自画像と 二重写しになる 天職とは 降ってくるものではない 無意識が検分した かけらが揃ったらはじまる 不明だった 若き日は 求めればいい…

生死

足許もおぼつかず人を殺め 心を不意に潰し それはほんとうに 復讐なのか 欲しかった安寧を 手にしたのではないのか 詩の力など何もないがきょうの日に言っておこう くたくたなのに 荷を負いつづけ 糧をわけあう仲間もおらず 語れば馘がよぎり 怨みの雨に溺死…

梅仕事

ぷつりと採れば 銀の産毛をたてた肌に 被さった緑から 落ちては転がる しずく しずく 竹串で蔕をつつきながら 何の歳月を問えば いいのやら 今のところは粗塩 で揉んで 太陽の日まで 棚上げの持ち越し 紫蘇が十の指に 絡めた色素は 古いくちづけの痕のようだ…

身体は忘れない

金曜日、健康診断に出掛けた。久しぶりに訪れたその病院は、改築して廊下に一面窓がつけられ、売店にベーカリーも併設するなど、すっかり変わってしまっていた。 数年前の同じ季節、冬から持ち越していた腰椎ヘルニアの痛みでとうとう歩けなくなり、救急車で…

A列車にて 同じ山を目指しながら べつべつのものを 手に持って揺られている まだ話はできないでいたけれど 燕の歌が流れると 眉間の皺は解き放たれる 小さな箱を覗きこみ 用意された 情熱のひとつひとつに 出会うごとに たぎる新緑が増していく 瞼に焼きつ…

道行

不安を楽器 に鳴らし終え たまたま 聞きいるひとを得たと 月琴を胸に ねむるのも忘れるあのものを 呼びとめたりしないこと なさけあるのなら たとえ 肩は痛み 足は曲がらず 横画面の夕景に 座らざるを得なくとも 紙のように散らされた 古びたイコンは 首から…

木霊

一日を終えて 寄り添ってくれる言葉でないのなら 忘れてしまっていいのだろう 今日のなぐさめは また開かれなかった 熱を帯びた時が 肩に手をかけていたが知らずして ふらりと降り いつのはずみか 麦の畑 空豆の畦 夕べに並べて眺めている 見つけたものは永…

今日の孤島

こんなことを おまえのそぼに おまえのいもうとに おまえのははに おまえのむすめに たのめるのか ながたらしい くえきのときに なんべんもあたまに めぐったかんがえ いまは しかし そふにいいはれるのか ちちにつげられるのか むすこのあたまのうえに なに…

痕跡の花 ねことまつわりながら暮らした その軒にはばらがさいた 丈ばかり高かったことは 覚えてはいるが 心を寄せたおぼえがない 丈夫そのものの 肉厚な笑顔の下 棘はならんで 自転車をしまう背を刺した 四つ角のポスターは剥がれ長雨に打たれた初夏も 褪せ…

撃たれて死ぬ運命を

遠山は手を結び 世界を閉ざしていたはずだが 引き留める木々もなく 逼迫すれば 祖先の頃より 出て行かなくてはならない コーヒーに 気をとられて 何万ものページは閉じられた 撃たれて死ぬ運命を つくりだしたのは自らだろうか 幼き日が その人にもあり 射抜…

夏葉社さんと『レンブラントの帽子』

大学時代、ロダンのモデルになった花子の孫にあたる沢田助太郎教授に教養部で英語を習った。そこで、マラマッドについての講義もあったのだろう。読んだ記憶はそこから来ているような気がするが、かなり、おぼろげだ。 詩人のカニエ・ナハさんが「レンブラン…

ばら

郡上の家には、白いばらとピンク色のばらがあった。剪定もしないから、伸び放題のはずが、気候のせいか地味のせいか、どことなく縮こまった印象のばらだった。 岐阜市から郡上市に転校した小学生の頃、様々な雑誌にポプリの記事がやたらと載ったことがある。…

ジュゲム

こうして 折り重ね折り重ね苦心な 日夜がめぐらうとは まさかを 一枚ずつ かみしめ リットル単位の渇きもおぼえる 泣いてみるのも カラダにいいからとて いまや 拍子も 呼吸もむつかしいことだ 離れては うりの花の糸 いもに伸びた蔓 足にまつわらせて 首筋…

畦に立つ

遠く近くかさなって 月も星も 雲の奥で待っていた この次 かなたにしまった ひとひの出会いを 油を差しながら 考えるのだろうか 何事もなく 四散していくことは 鉛筆を舐めた あの日にすまないからだ ケリの羽ばたきが止めば 凹凸の方言が またたきのように …

記憶の方法

りんどうが地面から花びらをのばし 山を上った時も その先を辿るのを あきらめたあの時も 見送って 伝統に 生きているわけでもない 乾く唇 肩はうっすらと重い つながっていてもなお 腕をかきいだき 小舟の纜を ひきもどす 景色 瞼を少しあけて 熱っぽい譫言…

ねがい 花に水をやりつづけられないのなら その人を 選ばずともよかった 間違えたら 生涯 いらいらと通信装置を 修理せずとも と 無難な訂正ばかりして と 口ごもる強い気持ちがある子どもに負わせずともよいではないか ささくれた岩の根 一面の強い蔦 卑下…

佐藤泰志 誰が悲しいだなんていった 誰が悲しいだなんていった馬券を散らす男たちを眺めながら 清潔な店で古い女友達と新しい女友達と 映画をみたあとでちょっとビールを飲んだ それから街路樹の陰に生えていたビワの木から 三個の実を盗んで歩きながらむし…

朴の花の下

谷の底の 鏡面に 祖父と残されている 畦をぬり 草徐けをひろげ 古い体操服で 重い昼を跨いでいく ふと フランシーヌの場合が かかったりすると 拍手ばかり粒だって近い いのちとはやっかいなものだ 泥は発酵しながら澄み むだにうつくしい 輝きを宿している …

スーパーワイルドホットケーキ 学校だって休む権利があっていいのさ 卵だって割るために 生むのさつまんないなこんな日に なんで やいのやいの言うのだ もう 成人を越えているんだよ つじつまあわせにも ならない 無駄にあかるい空 業者は来ない こんな機械…

かげろう きみがみすてたせかいに なぜ おりたたみいすのように ほうりだして おくのだ えんてんに ほほえむ ひとのすがたを いっしょうやきつけて おくがいい じんせいをともにしたいとねがうべきときに きみは なんてこっけいな みちをえらんでいるのだ い…

四月の雨 紙の花ばかり 求めたがる年頃だろうけれど そんなに 泣いてばかりなのは 根を忘れているからじゃないのか 三歳の頃 小さなフォルクスワーゲンを かっとして畳に叩きつけた三角に割れた窓を 未だに覚えているなんて そのせいで 隔てがあったとは 少…

『海炭市叙景』の文庫化 さらにTwitterで起きた事(3) このツイートから全てが始まったことを、私はここに記しておこう。2010年3月21日12時18分10秒 @hommam:@000214 クレインさんが編んでくださった『佐藤泰志作品集』には収録されているのですが、彼の作品…

撃たれて死ぬ運命を

遠山は手を結び 世界を閉ざしていたはずだが 引き留める木々もなく 逼迫すれば 祖先の頃より 出ていかなくてはならない コーヒーに 気をとられて 何万ものページは閉じられた 撃たれて死ぬ運命を つくりだしたのは自らだろうか 幼き日が その人にもあり 射抜…