7月30日

 1998年、7月30日。29歳の私は、自転車を持って台湾に出かけた。今も昔も本さえ読んでいれば幸せというインドアな私だから、無謀な旅に出たのは、恋ゆえに、右も左も分からないくらいの馬鹿になっていたからだった。そして29歳という年齢故の感傷もあったのだろうか。恋人も30代最後の年を迎えていた。
 しかし、それだけの理由で旅立ったにしては、あれはあまりに過酷な旅過ぎた。朝早くから暮れ方まで、必死に自転車を漕ぎ、通じない言葉で宿を探し、連日の焼き飯と水餃、台風に吹きまくられて、火焔樹の下で蚊に刺された。
マイケル・クライトンがかつて、パートナーとキリマンジャロに登り、ボロボロになって頂上に着いたら、二人して別々の道を歩むことを悟ったという話を、ずっと後に読み、賢者も愚者も、人ってだいたい同じことをするものだと苦笑したが… 
 熱中症に苦しみながら観た小琉球ブーゲンビリアを共にうつくしいと思い、蘇花公路の落石の危機を乗り越えて労りあい、台風の中でもつれあうようにして台北にたどりついた10日間。最終日に訪れた故宮の三希堂には、当時カナリアの籠が天井に吊るされ、それは何よりの平安の響きのように思われた。その直後、もう一緒に生きられないとお互いに言い出すことになろうとは。
先に出版した詩集『二月十四日』には、この記憶にまつわる詩を二篇収めた。 尖った記憶もどんどん失われて、波に洗われ、丸い残骸になっていく…そんな言葉だけが今は残っている。