祖父より受けつぐ

梅雨に入ると、故郷では、天気の具合によって、朝に夕に田んぼの水を調節していたものだ。
今年は梅雨寒で、発熱したとか、咳が続くとか、胃がちゃぽちゃぽする、汗も出ず身体が冷える、汗が出ず口内炎が出るなど、身近にすっきりしない体調の病人が続出、毎日毎日病院通いが続いた。待合室で、患者達の愁訴を聞いていると、畑の作柄と自分の身体の話題が多い。ぼうっと耳に入れていると、枝豆畑の心配と、膝の具合の話が被さってきて、気圧が低く、太陽が射さないことで、どこもかしこも畑も人も不具合が出てくるようだ。現代人の身体って田んぼや畑の具合に似てるなぁ、と思わされた。
 そう思うと二十年前に死んだ祖父には、介護が必要になった時には、祖父を通して、畑や田んぼの手入れを思い浮かべるようなことはなかった。山で木の世話をすることが仕事の大半だった祖父は、山にいる猿や鹿のことをよく話していたが、「けものは身体が、もうだしかんとなると、死んだように寝てな、なおすんや」と教えてくれながら、自身が体調が思わしくないと、とにかく横になっていた。子どもの頃から山で暮らすように遊んでいたから、野生的なものが鍛えられていたのだろう。
 その祖父は、脳梗塞で倒れ、日常にできることの力が落ちたとたん、暫くしてこの世を去った。祖母が高齢になってからの目の手術を受け、それが引き金になって認知症になり、それから10年の介護の日々だったことを思うと、祖父のは、人の手入れとは無縁な、原生林のような生を全うしたように感じる。
 短く生きた祖父も長く生きた祖母も、還暦過ぎのある時期までは、同じような昼の膳を来る日も来る日も食べていた。祖父がカブに乗って、収穫した椎茸を現金に換え、農協のスーパーで塩鮭かハムを購って、これまた塩辛い味噌汁で
ご飯をかきこんでいた。 
 あんな塩分食を食べていたのに、祖母は順当に血圧が高かったのに対して、祖父は血圧がむしろ低かった。
 孫の私は、雨が降ると咳が出るし、血圧は高く、健診を受けると何のかんのとやたらひっかかる。祖父の遺伝子をもらいながら、原生林のような生とはあまりにもかけ離れた生活がこれからも続く。 
しかし、いつかは、祖父の身体のように、自然に死を受け入れられる準備ができたらよいのだが…などと、いろいろ考えてしまう人間ドック5日前、なのであった。
2014.6.24