2010-01-01から1年間の記事一覧

子浦の海・詩人が眠る地で

堂ヶ島行きのバスは、暫く山道を走っていたが、そのうち、車窓の左手に海が見え、坂を降りて漁村に差しかかった。「次は子浦」というアナウンスを聞いて、文学記念室で観た画像が浮かび、降車ボタンに手が伸びた。狭い道が続き、バスは待避場所に入って対向…

石垣りんさんの「ふるさと」をたずねて 南伊豆図書館で見せていただいた録画番組の中で、石垣りんさんは、澄んだ声で朗読をしていた。 合間のインタビューでアナウンサーが「なぜ、今若い人からも支持を受けているのだと思いますか」と繰り返し尋ねると「そ…

南伊豆 石垣りん文学記念室

静岡で用事を済ませ、帰路の浜松駅で乗換えを待っていた時、ふと思い出したことがあり、引き返して熱海に向かうことにした。 熱海から下田へ。だれもいない車内で駅前のホテルの予約をして、ひたすら眠った後、これまた人影のない駅に着いた。下田は水仙の咲…

映画「海炭市叙景」 くぐもった声が聞こえ、「DON'T WORRY」と字幕は滑っていった。冬の終わりの陽射しだろうか。画面の猫は、おばさんに抱かれ波打つように輝いていた。 この光景は見たことがある。これは絶対あの人だ。登場人物が煙草をのむと、途端に知り…

N

空気のようになるため くもった顔をしてるだけ そういう 仕事なのだから 自らに気づいた 10歳の時から 一人で生きると決め、 なにがしかは食べて それでいいのだ 遠くばかり 見ているうちに あなたは絆を失っている 少ない約束では 物足りない性分 流儀は抱…

重箱

透き通り 食紅のなかに 固められ 果物は 沈む そこにしか 居られない 決めごとなど ないのだけれど 煮溶かせば 疲労ばかり 大きなあぶくとなった 漆の下にぼやけた 喜ぶべき 贄に 心は動かされないが 肌着の冷たさに 気づいたことで 新年のたよりを こころづ…

明日生きていたら

ストーブを出したが 湿気たマッチしかない 躍起になれば 軸がじき折れて 手の中でごみになる 何本も 隣の島が燃えていても 相撲中継は変わらない 駐車場には 野菜が干され 犬の鳴き声も 長閑だった 忙しがっていた今日を また繰り返すことを ゆめ疑わず かじ…

ダイアリー 落ちると思わなければ 恐怖など訪れない 昨日も今日も 永遠なる底の生活 新聞にくしゃくしゃと くるまれた繭は 時を経ても 卵を持たない 戴いた空に変わりはない 雲は白い穂のように 南西に向かい 夜半には 骨も浮かぶ 床に就き 再び朝を迎え 何…

Twitterに登場した話題の人が、「ヒロさんにとって本とは何ですか?」と聞かれて「恩人です」と答えていた。今、自分にとって本とは何だろう。 生きることへの関心をかきたてる薬みたいなもの、だろうか。私は厳密な意味での愛書家ではなく、本をどんどん買…

宝石

背中にめぐった日々は 机で山積みになり 平凡な色遣いに紛れて 気づかないものだから 次の日の新鮮に 追われて もう失った気持ちでいる 光のうつくしさを 吸い込んだ雲 雑な一瞥や 立ち漕ぎで 止まらない迂闊を いつか 悔やむことが あるといい、けれど 巡っ…

公園小景

団栗を拾う二人だった 二歳から育てれば 親と子にしか見えないが 異動が決まってすぐ 子はつまずいて 遠いところへ 行ったきりという そばにいられるという 時間は 陽のある中では永遠だが そのうち帽子は 取り上げられる 君の手の中に 実はひとつも なくな…

小石を抱え 魚影の合間を 落ちてきた しるべなき 道ばかりに行きあたり 砂礫となった 心を均し 仕事の合間に咀嚼し、 無心のうちに笑い、 枕を叩く その少し先の 象は心に無く 仄明るくとも そらごとの命と 群れのなかで尾をそよがせ ようよう生き得たことは…

不惑

囁きなど押しのけられる 日日にありて 縺れながらも 人の死をもまたぎこし 指も髪もすべて乾いてしまった たなびく烟の中で 裡の音を聞きながら 涯を知る日が来る 君が心に留めた 雲のかおり 花芽をつけた 彼の地の話にも 名残惜しく耳をすます せめて 夜の…

タイトル

ブログに収めた詩から、まずは、詩をを選り出し、以下の60篇をまずは読み直して改稿をしている。表題もこれから変えるのも出てくるだろう。最終的にどんな形にするかは、まだ未定だけれども、つくる冊子は、ここから20篇ほどまた絞らなくてはならけないだろ…

『昔日の客』への旅

このたび夏葉社さんから復刊の、関口良雄・著『昔日の客』が届いた。まず目についた「コロ柿五貫目」そして「父の思い出」の章を読んだ後、二回通読したところで、どうしても関口氏の故郷を見なくてはという気持ちになる。幸い飯田は、岐阜から近いので、弾…

みしょう

手渡された、広告の包み ころがった 五つの芽を 爼に胡瓜と並べ 黄色い灯りを点ける 野菜のような バスの中の人々を眺めて 雨粒のような 無心さを取り戻してきた 喜びも怒りも寄り添って こない 人に閉ざされた往く道 けれど かなしい言葉を ことさら信心し…

悲鳴 背中に 本を敷いて寝て うっかりと過ごし 知ることは 日々のわざという 便利なものがあれば 人は ものを思わずにいられる それは 薬のようなものだ 関心が 失せ果てていても 誰も気づきはしない 傍らを過ぎゆく人は 精霊のごとく 夏の朝は知らず 虫の音…

金子は見た!『古本のことしか頭になかった』

今は休刊になっているエルマガジンの「天声善語」の読者であった私は、この連載が書籍にもならず、また再開もされないことをずっと不思議に思っていた。 昨年の12月、自分の詩集を入稿したばかりの頃、手書きの原稿を持ち歩いて、出会う人、出会う人に無理矢…

Kanecoの詩集(仮題)

このWebから詩を取り出すために、去年の日記を久しぶりに読んだ。 昨年の秋から冬の記憶というと、手製の詩集と、龜鳴屋さんから出す詩集のために、ずっと原稿を整理しており、そして本業のほうでは、17年の支援の経験を根本から考え直さなくてはならないと…

秋冷

24時間レストランの 明るさから解放されても 時間の糸口は どこにあるか 分からずじまいで 一応の帰り道 猫達は ゆるんだ季節に 笙のような声を 響かせていた さかむけが増えて 引っかかり、引っかかり 月は昇ってくる 弱い風が するすると全てを外して 肩に…

またつくる

子どもの頃から、シンプルシック、清貧の思想、少欲知足とか、持たないことを奨励するスローガンを聞いて育ってきたわりには、その世界を芯からは肯定する気になれないのはなぜだろう。 「削ぎ落とす」という前にはやはり、豊饒な時を知る期間はいるのに、も…

雑念

虹彩ひそむ 潮の変わり目 祖父が生き永らえて 父に渡したものらしいが 警備員の 芯の苛立ちを 水と共に 味わってしまう 古い友だちの 暢気がよりどころなのに 窓は幾重にも 蜘蛛の糸につつまれて 外は 天が割れたような騒ぎだ 何を杖にして 渡って行こうか …

終劇 道は どこにでもあったろう 枯れたものをかきあつめ 華やかに 焔をたてようとも 濁世に浸かり 人より強かろうと 歳月は来たのだ 地に陽を当てねば 根は一面 絶えるだろう 苦が怖くとも これからの距離は それより先はのびない 文字盤のない時計は 死は…

植生 出穂に目を凝らし 増やさぬように こころがけよ、と つまらないことを 固く心に決めて それだけならばよかった つゆを振り落とし 伸びてきた しなやかな蔓を あなたは 落とした 何に執を持って 穏やかな西日に 背を向けたのか しかし 刹那な希望は それ…

朝に人は 石の塔を建てている 自分の泥に条をひいて 後生大事にはみださない とは それが何を生む 悔悟 の歯触りを確かめながら 掴まえられる眺めもあり 離れてから生まれ消え失せた鳴き声 いつまでも 口を養ってもらいたがる 羽の退化したものもいる 頭にあ…

釘はうたなくていい

その日は 電話ボックスに やたら人が並び、何番目か に 人のかたちに息のこも った中 コードをひっぱり ながら残した伝言カッパドキアが載っていて 知らない街の 青さについて語る不毛に水をやる愚かさも必 要だろうかどうぞもう醒めるようにこの生が思った…

走れ!走れ!感傷旅行のその先に

詩集『二月十四日』に、昨年6月7日に、この場所で書いた「8月」という詩を載せた。 詩の元になったのは、酒田への旅。台湾の自転車旅行の後、まだカステラのように日焼けした腕でハンドルを握って旅立った。 8月 頬張ったなりの ひときれの記憶 宮城から山形…

4つと71歳

多くのことではないのだろう わたしたちが 思わなければいけないことは 知るべきことは まだ 探さねばならないが 倉庫にしまわれた フィルムには ぎこちない目つきが 留めてあるが そのこどもは 親を知らず 川を駈けて いきものを探し 空腹を満たした 生まれ…

パワースポット 持たないことを理由に 小さな墓を掘っては 月の満ち欠けを見送って きたのだろうが 機が熟すことを なぜそんなに恐れるのだ どぼんと 淵に浸かって すてきなものなどないことを、くまなく知るのもいいだろう そこには 山椒魚しかいない ヒト…

南斗六星

祖父の肩に 耳をつけ その眼は もう眠りにおちる あの背に肉があった頃 ランニングをひっぱっては滑り落ちて ころころ笑う 四歳児だったろうか バーベキューをするのに 老いた家には なにもないはずなのだが 夕べには 火が焚かれ バナナピーマンが裂かれ ウ…