南伊豆 石垣りん文学記念室


 静岡で用事を済ませ、帰路の浜松駅で乗換えを待っていた時、ふと思い出したことがあり、引き返して熱海に向かうことにした。

 熱海から下田へ。だれもいない車内で駅前のホテルの予約をして、ひたすら眠った後、これまた人影のない駅に着いた。下田は水仙の咲く季節を迎え、昼間は賑やかだという話だったが、その話を聞いた食堂もテレビと風の音ばかり寒々と響いているのだった。

 思い出したことというのは、春先に知った石垣りんさんの未刊行詩篇のことである。石垣さんは「表札」「挨拶」など、作品が教科書に載っていたり、選詩集は今なお新しく出ているが、生前に出された詩集は意外なことに四冊きりなのだった。亡くなってすぐに出た未刊行の詩篇を40篇収めた『レモンとねずみ』(童話屋)には残された詩篇が夥しくあることが報告されており、全詩集の刊行予約の葉書が入っていたものの、そういえば出たとは聞かないと思っていたが、検索してみると、2009年1月の童話屋HPには次のような記事が載っていた。


 石垣りんさんは、生前に4冊しか詩集を出していません。寡作で知られていたりんさん。ところがその死後膨大な未刊詩が発見されました。 その数は339篇(2009.1現在)にものぼります。りんさんの、「新しい詩集が出したい」という遺言を実現するため、いままで編集作業を進めてまいりました。 当初昨年秋に発売予定でしたが、著作権の問題がクリア出来ずに一度延期となり、今年3月の石垣りん文学記念室のオープンに合わせたい、と働きかけをしてきました。しかし問題解決の目途が立たず、誠に残念ですが出版を断念、一度白紙に戻すことになりました。


 以上の引用は一部だが、刊行されなかった全詩集が初めての編集の仕事だったというこの方の記事、できれば全文読んでいただきたいと思う。著作権に問題がなくなるのは45年先だという。

 さて、その石垣りん文学記念室に行こうと思いついて下田まできたものの、伊豆は卒業旅行に熱川バナナワニ園に来て以来、二十年くらいぶり。土地勘はまるでない。南伊豆図町立図書館付近のネットのマップは真っ白、携帯からでは、公共交通機関の案内をHPに見つけられず、翌朝、バスの運転手さんに聞いても、「図書館?」と怪訝な風だった。9時になって図書館と電話がやっとつながり、取り敢えず乗った下賀茂行きのバスが正しいことを確認して一安心。お客はまた自分ひとり。小池昌代さんの小説の舞台の多々戸、下賀茂熱帯植物園など途中下車したい誘惑にかられたが、先が分からないので帰りに寄ることにして、40分程の我慢の後、終点。
 図書館のあるところは、南伊豆といっても山の迫ったところで、町を流れる河には桜並木がある。今は枯野に水仙が咲いていたが、春は菜の花と桜に彩られる土地だそうだ。
 (もし、図書館に行かれる方がいるようだったら、下賀茂より、堂ヶ島行きのバスに乗り、前原橋で降りたほうが、迷わない)
 図書館は緑の屋根の建物で、人に聞いたらすぐ分かったが、横の三島神社に笑っちゃうほど大きなクスノキが生えているので、遠くからでもすぐわかる。
 
 図書館はこれまた誰もいなかった。それでも、司書の方は一人で配架や電話対応をしなくてはならないようで、話を聞かせていただく前に、以前BS2で放送されたという「あの人からのメッセージさよならの向こう側」 涙を笑顔に変えて」という、石垣りんさんと徳山ダムに沈む村を撮り続けた増山たづ子さんとの交流をテーマにした番組をまずは見せていただいた。伊豆に来て揖斐の山を見るとは不思議な心持ちだったが・・この番組で初めて石垣さんの生前の姿を見て、自分の持っていた、石垣りん=強い女性というイメージがかなり偏ったものであるということに気がついた。
(つづく)