2011-01-01から1年間の記事一覧

百歳白書

働かざるもの 食うべからずの国では 床の間の花のように 人も 長持ちしなくては ならないらしい 深夜のファミレスの店員 は 二十年前から変わらない どころか 説明もなく 若返っている 不惑越えの 選手は退かず 良い歳のお母さん達も 自発的に脱ぎだし 扉を…

露命

昭和43年にひらかれた ばら園の話を聞いた 福島第一原発の事故後 主を失った花は 草の中に埋もれた 貧しさが染み渡って 行き場のない時代があり 人は せめて胸に宿るものが どこかの山奥に 花を咲かせると 信じたものだが その花をも 自分たちの手で 毟って…

今更、シロー店長を憶う

本屋でバイトをしていたのは1991年。もうずいぶん前のことである。 当時は大学四年。今から振り返れば、就職氷河期元年、就職の当ては何もなかったという頃で、その後、臨採講師の仕事が見つかったのはかなり後だった。そういえば、あの時、なぜ本屋に勤め続…

伝説の人

中山千夏の新刊『蝶々にエノケン 私が会った巨星たち』(講談社)を読んでみると、様々な名前が詳細な記憶と共に綴られているのに驚いたが、佇まいが似ているとも言われ、そばで影響も受け、後には菊田一夫の引き立てを巡ってライバル的な関係になりかかった…

エバーグリーン

狭いような 世間に居て いつしか老いの眼鏡を得 内やら外やら眺めれば 千年に一度の事態より 自分の波に 気をとられ 数多の頭が 一様に揺れている 平和は続いてきたと 思いこまされてきたから 家族史に 痛み止めを流しこみ 普通を胸につけて 黄色い帽子を 被…

未熟

一キログラム という重さは 人が決めた 心臓の重さは 何に拠っているのだろう 閉じた窓に 月がよぎる その陰影に 数多の 横顔を想う 薄皮を 焦れて剥ぎ 血を滲ませて あしたが来る それまで 瓶底に頭を埋め 十月の眠りを 味わいつくそう

昔のひかり

巻きつけた 憂さをはずしながら 新聞を広げ 着信音にも 気を取られる ナスとイカのミックス 量は二百グラム 辛さは普通 ツナサラダと アイスカフェオーレ 文化欄の写真が こちらを見ていた あなたを 知るはずはないのに そのまなざしに スプーンを置く 何も…

かつては誰もが織っていた

下鴨の古本市の帰り、ガケ書房の古本棚から徳廣睦子『手織りの着物』(1986筑摩書房)を手にいれた。『星を撒いた街』の作者が、家族からどう語られているのか興味があったからだ。 上林と妻、両親の姿が、身内贔屓ではない愛情をこめながらも、独特の距離か…

海浜

雲 縦横に光が 透けている 水飲み場に 手を置いて 熱を味わう 足裏をへこませ 可笑しさに、ほどけて うつむく ソーダ飴のような 匂いが湧き立ち 形も見えなくなれば 錆びた門の 錠を探そう

なぜなんだオートバイ

中学時代、浮谷東次郎に出会って、その後、片岡義男『幸せは白いTシャツ』(角川書店)を読み、この憧れを抱えて大人になれば、バイクに乗って日本一周くらいする日が来るのだろうと予想していたというのに、あれあれ…バイクは原付にも乗らず免許も取りに行…

サイレン

彼の日、空に掲げた サイダーの泡をくぐって 四十路という 炎天の下 沈まない 尻を逆立てては 草で拭いた ゴーグルで見た 水底の石それは 流れの中でこそ 美しい 空き缶の中の 黒い雨蛙 子どもの頃に 見たきりだが非常時のように 胸が鳴る まさか今まで 淵に…

Bildungsroman

ビルドゥングスロマン、という言葉を知ったのは、曽野綾子の『太郎物語』を読んだ時だった。しかし、太郎物語の太郎自体は1980年代の中学生から見ると、高校篇でもずいぶん老成しているように感じたから、成長物語とは感じなかったけれど。下村湖人の次郎物…

因果な贈り物

先の鹿児島行きの時は、姫路で買った岩波版の『暢気眼鏡・虫のいろいろ』を車中で読んだ。 夫の筆からなる妻の「芳兵衛」の行動力や言動は、デフォルメされているのかどうなのだろうか。欲しいと思い立ったら火の玉のようになり、そうかと思えばクラッシック…

今ごろ魯人

もう来年はロンドン五輪なのかと気づく。前回の北京五輪の年は、全く五輪とは関係なく上海、烏鎮に遊びに行ったのだった。 2002年の冬、仕事がらみで上海に行き、その時は福祉施設の見学や行政の催しばかりで、もっと自由に見て回りたいと思いつづけ、6年目…

70'S

母の歌を 瞼を閉じるために 聞いたことはない 横になるそばから 上掛けを すっぽり纏い 鼾をお守りに 父は肩山の線だけになるばかり 国道から聞こえる 旅する人の 残響を 握りしめ ねむる、そばで 子ども時代は 川霧の下手に 消えていった

古本西遊記

倉庫を借りたり、車が故障したりと、この夏は物入りが続いたので、どこにも行かないつもりでいた。しかし、岐阜は暑い、アパートは狭い、まあお盆休みに備えて18切符でも買うか、と駅に出向いて窓口に並ぶうちに、西へ行く切符を手にしていた。旅の支度もし…

源から

この身体を透かせば 宇宙から飛散した成分が 残らず見つかるという 夜が しみわたった 七月の大気は 湿ったシーツのようで 束の間 細い口笛で 星の歌を鳴らせば 血を食んで生きている ことを 忘れられるだろうか

『星を撒いた街』に思う

出会うタイミングで、印象が違ってしまうのは、本も、人も同じなのかも知れない。 上林暁『聖ヨハネ病院にて』が、少し前に本屋に並んだ時、ちょうど杉田久女の伝記や高村智恵子に関する本を読んでいた。精神疾患に理解が進んでいない時代の病院の、患者の治…

空豆ばなし

西濃には「みょうがぼち」という小麦の厚い皮で空豆の餡を包み、みょうがの葉で巻いた郷土菓子がこの時期和菓子屋に並ぶ。郷土菓子のわりには、作り方を知る人は周りにおらず、西濃出身の親もうろ憶え、地元の人に聞くと、どうも大昔は家庭で作っていたらし…

小鳥峠

全山を 覆い尽す 一枚一枚にも 宿命がある 芽吹いたのち 広げた鶸色は 水無月にもなれば 吹きあがる屋根となり 藪蚊の棲む 薄い闇に 白い花を集め 再び 夏が現れた

捨てても増えるのは 仕方がない 生活も 思い出も 余計を詰め込んでも 恥じずそのくせ いつ 朽ち始めるのだろう、と いつからか 解を待っている 悔しい荷を背負い 家路を辿るは 毎度のことであり アメリカザリガニしか 棲まない 溝の時代は 酸欠ばかりで 美し…

収穫の季節にそなえての 準備が始まる 背の低い果樹園で 葉が15枚につき 花がひとつ 陽と水の味を 味わう前に 小さすぎる花は 几帳面な手で 摘まれてゆく 傍らの廃園では 薄緑の花が 枝に咲きほこる やがて来る季節には 小さな実は鈴なり 樹皮がいつか 芯か…

菜園

野菜苗が店頭に出るのを気にしていた年月があった。山の上の学校に勤めていた時には授業の一環に畑作があり、初夏になると、さつま芋の苗を多治見の街の苗屋にまで買いに出掛けていた。藁で縛っただけの苗の束は、ほどいて植え付けたすぐは、くったりして一…

樹の花

息をようやく吐き 水を飲むどちらに 光はあるのだろうか めぐった血の あたたかさに導かれ おぼろげな 道をたどる 地図を読む 細かに降る 目蓋を模した花 いつかの朝も この路に 立っていた

beans

ちいさな布巾で 磨きあげてきた ものに 惜別はあるだろう しかし 元の生活というのは 雨ざらしのベンチのように 端から朽ちかかっている 穏やかではないことに も目を向けて 飲み込まれないために 噛みしめて 坂を辿るには 蔓のように絡まりあう くらしと あ…

友人の前に おひつが置かれたので 話をつづけながら ご飯を よそってもらう ありがとう と言って その言葉つきよりも 嬉しい気持ち これは何だろう 私たちは 烏の北斗七星の 向こうへ 教科書を投げ たがいに 二十年、出会う子どもの 世話をして なりゆきでこ…

常夜灯

今日も 陽は沈んで 何も見えなくなる 身の丈という 規矩の外へは手を伸ば さない そんなのしか 見たことがなかったが あの木曜日から 人は距離を 言い訳にしなくなった 声は人のために響き 耳はそよいで風を起こし 木の実のような真実は 丹念に集められ 地表…

移動動物園

佐藤泰志。『海炭市叙景』が昨年の10月に文庫化されたことに続いて、この4月、小学舘文庫から『移動動物園』、河出文庫から『そこのみにて光輝く』が相次いで刊行された。 デビュー作だという『移動動物園』。主人公は内心を語らず、次々と見たものが投げ出…

手にしたものは本しかなかった

学生時代、古本屋に通うようになったきっかけは、幼い日に読んだ料理本や児童書を探すためだった。 小学生の頃に、父は故郷に転勤して、祖父母と同居が始まった。共稼ぎな上に田畑の世話も増え、何かと慌ただしく、核家族の小さな団欒は消え、料理の本とお菓…

甘露

今日の月 梅酒の瓶から つまみあげた拍子に しずくが 落ちてくるような ストーブの灯油が ゆっくり巡る音を 幾夜も聞き 綴じ紐をひっぱり 年少いゆえに 尽きてしまう言葉に 焦れていた 爪の 飢餓線がなくなり 不似合いな 年輪を巻きつけ 古い葉を繁らせ やわ…