古本西遊記

 倉庫を借りたり、車が故障したりと、この夏は物入りが続いたので、どこにも行かないつもりでいた。しかし、岐阜は暑い、アパートは狭い、まあお盆休みに備えて18切符でも買うか、と駅に出向いて窓口に並ぶうちに、西へ行く切符を手にしていた。旅の支度もしていないというのに。
 正宗白鳥の故郷に行ってみたいと思っていたので、電車の中からネットで宿を取り、まずは米原から姫路行に乗り継いだ。姫路には寄りたい古本屋さんがあったことを思い出す。詩人の大西さんが始められた「風羅堂」。駅近くの服屋が並ぶアーケードにあり、店構えがハイセンスなので、一瞬入りづらいかなと思ったが、中に入ってみれば、青少年から老婦人まで、いろいろな世代の本好きが店主と語らうオアシスのような本屋さん。旅人にも口コミで知られていて、前の日は、福井からもお客さんが来たという話を聞いた。ここで文庫の尾崎一雄『暢気眼鏡』を車中の友として仕入れ、また駅へ。
 岐阜や米原ではあまり見かけなかったが、姫路まで来ると九州新幹線の全線開業を駅構内のそこかしこで宣伝しており、いつしか「できるだけ西に」 という気持ちになり、宿をキャンセルして、時刻表を調べ、その晩は福岡に宿をとった。
 翌朝、鹿児島を目指し、またひたすら鉄路を行く。途中、熊本から川内まで新幹線を利用してみたが、噂の通り、木材を使った落ち着く内装で読書には最適の空間だった。懐が許せば、できればもっと乗ってみたかった。
 そして川内からはまた在来線に乗り換えて鹿児島中央駅へ。鹿児島には15年前に来たきりなので、駅の市場には見覚えがあるものの、方向感覚はあまり甦らず、天文館に行くのに、かなり大回りをした。おかげで貸し本屋さん、市電、乃木静子の碑などいろいろ見て、ブックオフも気にしつつ、シーズギャラリーというカフェで休息、その後マルヤガーデンズにたどり着いた。ここのジュンク堂堀江敏幸堀田善衛が同じくらい並んでおり、中村真一郎もずらり、目につくところに杉本秀太郎が並べられ、佐藤泰志も面陳されていた。文芸の階で時間を使い果たしたので、あとはエレベーターからざっと見ただけだが、東洋文庫が上から下までずらりと並んだ棚が遠くにあって驚いた。ガーデンズシネマでは「森崎書店の日々」がやっており、これから向かうつばめ文庫さんのチラシも置いてあり、場所を再度確認した。
 つばめ文庫さんは、丘の上の団地の中にあるようで、バスでは途中の不安があったのでタクシーに乗った。あきらかに言葉が違うからか、運転手さんに「どこから」と聞かれ、岐阜だと答えると、「(宝暦治水の)平田の屋敷がここから近いんですよ」と教えられたのには驚いた。今は海津市になった左義長で有名な平田町は治水工事を指揮した薩摩藩家老の名前が由来なのだった。「海津には姉妹都市を記念してカイコウズ街道もあるんですよ」とうろ覚えな情報を語ると、「治水の千本松原をいつか観に行きたいんです」と運転手さんは熱く語り、「新幹線だったらすぐですから」と、一区間しか乗っていないのに調子のいいことを言っているうちに武岡に到着。ちなみに、つばめ文庫さんのある場所は、むらさき幼稚園のそばである。
 つばめ文庫さんのある建物は、平日は同じテナントの肉屋さんや八百屋さん、化粧品屋さんがやっていて幼稚園も隣なので、にぎやからしいが、日曜日の団地は静寂そのもの。「ここで古本屋さんをやるとは、冒険じゃないですか?」と会うなり失礼きわまりないことを言ってしまう。つばめ文庫さんこと小村さんが、にこやかに、「もともと古本のストック場所として借りたんです」と答えてくれた。店売りもやってみて、お客さんと接するのは楽しい。天文館とかでやればという人もいるけど、流れ作業のようなペースではない接客がしたい、とそこは動かせないという表情をされた。夜勤の仕事もしておられるそうで、この日はご友人と会われるために、休みを取っておられ、夜の高速バスまでの時間が合えば、本が置いてあって、お酒も飲める店を紹介いただけると聞き、一度店を辞した。