今ごろ魯人

もう来年はロンドン五輪なのかと気づく。前回の北京五輪の年は、全く五輪とは関係なく上海、烏鎮に遊びに行ったのだった。
2002年の冬、仕事がらみで上海に行き、その時は福祉施設の見学や行政の催しばかりで、もっと自由に見て回りたいと思いつづけ、6年目にやっと機会は巡ってきた。
上海のついでの行き先に烏鎮を選んだのは偶然だったが、最近、同行した友人に会って思い出話をしたところ、二人とも上海よりも烏鎮のことばかり印象に残っている。
当時、朱旭も出演していた烏鎮が舞台のドラマが流行っていたらしい、「似水年華」というそのドラマの主人公は、古書を扱う図書館で働いていて、そのセットもあったようだが、特に記憶はない。どちらかというと、石畳の道に機械音のように響いていた蝉の声や、明るい色の雲から突然に降る雨を避けながら歩くと、どこの軒先にもワンカップの瓶のようなコップに茶葉が開いていた‥というような写真には撮らなかったような余白の光景ばかりくっきりと覚えている。
案内人に「烏鎮は茅盾の生まれた土地なんですよ、ご存じですよね」と言われ、ご存じないまま記念館に行き、遺品の帽子や机を眺めていると、「茅盾は日本にも滞在したことがあり、今でも日本語訳が出てますよ、魯人先生と同じくらい有名ですから」と重ねて言われた。帰ったら読まなくては‥と思って、当時、岩波文庫の『腐蝕』を立ち読みした筈だが、今、気がつくと、また茅盾は遠ざかっている。そして今や、すぐ読みたくてもどこの本屋にも見あたらないのだ。(取り寄せればあるが)魯迅と、老舎の『駱駝祥子』はどこにでもあるのだが。そうして探しているうちに、魯迅もろくに読んでいないということに気がつき、新訳が光文社文庫から出ているので、二冊買って読みはじめた。
魯迅を初めて読んだのは教科書の『故郷』。思うに『藤野先生』から入った人は、魯迅が仙台にいたことや、藤野先生の慈愛を魯迅がいつまでも忘れないことに、親しみを持つと思うが、『故郷』は、チャン・イーモウの映画「初恋の来た道」の白黒場面みたいなので、小学生には面白味がない。自分が住んでいるような田舎の話を聞いても「は?」という感想だった。西瓜を畑でもいでるような、ルントウを地でいっている時代には迅坊ちゃんの郷愁は分からない。歳月、水の如しという境地は、ギャングエイジを少しでたばかりじゃ分からない。そりゃ教科書には無理とは思うが、「狂人日記」のほうが印象に残るだろうなぁ。
『朝花夕捨』が好みで、完全版で読みたくなった。最初は、やんちゃ版銀の匙という趣のお長という養育係の思い出、「百草園から三味書屋へ」の庭の描写、塾で子ども達が、「紙の兜を指にはめて人形劇を始める者もいる」などとわいわいした中で絵に熱中していた迅少年。静かだけれど、ユーモアのある奴という役どころだろうか。父の死を経て、学問に依って故郷を出て、日本に渡り、国に戻っては「Fan愛農」のような同郷人の、うまく生きられない悲しさを、独特な人物描写をもって、悲惨なことをそれだけににならない筆致で書いている。
茅盾の作品探しで思ったが、映画化とか、カラフルな話題になった大陸の小説やルポルタージュは日本語訳が出ているが、何気ないけど滋味があるといった作品の翻訳もすすめてもらいたいものだ。
魯迅紹興出身、烏鎮と同じく水の都。観光化が著しいというが、いつか出かけてみたいものだ。