因果な贈り物

先の鹿児島行きの時は、姫路で買った岩波版の『暢気眼鏡・虫のいろいろ』を車中で読んだ。 夫の筆からなる妻の「芳兵衛」の行動力や言動は、デフォルメされているのかどうなのだろうか。欲しいと思い立ったら火の玉のようになり、そうかと思えばクラッシックの響きで考えこむたちでもあり、妙に生活適応能力がある…武田泰淳が「めまいのする散歩」に書いた武田百合子の姿にも重なる。鬱屈したタイプの文士には、突き抜けた精神の持ち主が必要であったようだ。ただ忍従の人や、ロマンチストな令嬢では、ジェットコースター式な文士との結婚生活イコール苦役の日々で、我慢がたたって後に病み、早逝という図式になっている気がする。
さて、先の旅行中、「人に迷惑をかけないようにと苦心して倒れるより、苦労を同じ方向で分かちあえる人がいるなら一緒に夢を実現したらいい」という、芳兵衛もびっくりなお節介で、出会った若い人に文庫を渡したのだった。そんな浅慮を古本の神様がたしなめるつもりか、尾崎一雄など見たことのない店の百円棚に、新潮文庫の『暢気眼鏡』がある日見つかった。「擬態」には、金策に出かける夫が寒いからと止めるのも聞かず、乳飲み子を背に括り付けてついて行ったところ、無謀をなじられ、それでもついていくと追いすがり、夫に叩かれ「眼から火が出たア、ピカッと光ったァ」と大泣きし、また叩かれて「鬼だ、鬼みたいな顔だ!」と叫び、走って大声で「お母ちゃん、お母ちゃん!」と泣きわめく妻の姿がある。棒きれでもひろって反撃したらもっといいが、降参しないところが素晴らしい。芳兵衛は後に評判の賢妻になるようだが、年を重ねた後はどう暮らされたのだろうか。
急に引き合いに出すのも何だが、自分の母は、もともとはもの静かな、相手の話を聞く人だったらしい。「娘時代とは別人になってしまった」と母方の祖母が途方にくれたように言うのを聞いたことがあるが、私にとって、母というものは、小さい時からよく喋ってすぐいなくなり、人の世話を焼いているか、新しいことにとびついて寝食忘れるほど熱中しているという存在だったので、落胆したような表情の祖母の気持ちは分からなかった。今にして思えば、鬱屈を溜めては酒も飲めず、給料を全部本にを遣い、家族に当たるが外面はいいという若き日の父と暮らすうちに、その生活に持ちこたえられるようにと、眠っていたパーソナリティが起き出してきたのだろう。 父方の祖母の長い介護の頃は、母もずいぶんのんびり屋になったものだと思っていたが、祖母が逝ったら、急に「芳兵衛」に磨きがかかり、夜中にケーキを焼くから薄力粉が要るなどと、言いだす。今は田舎でもコンビニがあるので「もうどこも起きてはないよ。おとなしく一寝入りすれば直ぐあしただ」(by擬態)などと諭してもムダである。
『暢気眼鏡』みたいに、人生がしっぽにいくほどうまくいくなどということは生きて見なければ、分からないことなのだ。


最近、リーヴ・リンドバーグの『母の贈り物 アン・モロー・リンドバーグ最後の日々』(青土社)を拾い読みしている。2001年に94歳でアンが死去したおり、リーヴは母の詩を朗読したという。

遺言

でもあなたがなくてどうやって生きられるというのか−彼女は叫んだ


ぼくは死んできみにこの世界のすべてを遺した
大地と空気と海の美しさ
空を翔ける翼、枝を踊らせる木
雨の口づけ、風の抱擁
嵐の熱情、冬の憂い顔
羽と花と石の感触
裸の枝のきりりとした輪郭星のあいだの飛行、夜中の隊商
こおろぎの歌−そして人の歌−
これをみな遺言とした
これをみなきみに遺してぼくは発った

でもあなたの目がなくて、これがみなどう見えよう
あなたの手がなくて、どうやってふれられよう
あなたの耳がなくて、どう聞こえよう
あなたの心がなくて
どうやって知ろう


これも、みな
きみに遺そう


リーヴ・リンドバーグは母、アンの言葉を何よりの心の杖として生きてきたようだ。ところが、高齢になり、脳卒中になってからは介護が必要になった母は、うまが合う介護者には話はするが、娘にはあまり喋らない。夜中に「帰りたい」と騒ぎ、触り心地のいい魚型の枕を涎のしみをつけるほど愛し、娘が詩をかきつけた紙を丁寧にちぎって紙吹雪にしたりする。
言動も、娘の知る母ではなくなっている。言葉遊びの母の答えに、「あなたは『海からの贈り物』を書いたのよ、お母さん。そんなあなたが「女は男がいなければ価値がない」なんて言うはずがない。やめて。主義をすてないで。自分らしさを失わないで。知らない人にならないで。弱くならないで。自分をだれか忘れないで。降伏しないで、受容しないで、ああ、死なないで、死なないで、死なないで。許して、そんなつもりではなかった…死なないで、お母さん!」
三年の介護生活の中でリーヴは、何度も母の老いに動揺しているが、生前の父も降参していた母の筋金入りの沈黙に一番傷ついた様子だ。孫には喋るが、一番の介護者である傍らの人にありがとうも言わない人もよくいるので、珍しい話ではないが、認知があいまいになると、ずっと、我慢していたことが押さえ切れなくなり溢れ出てきてしまうのだろう。『海からの贈り物』は母、アンが59歳の時に、家から少し離れて暮らした思索の記録だが、煩雑な都会のしきたりに疲れ、何も溜めずに簡素に、小さな人間関係で生きたいのだという願いが全編に溢れている。願いのままにできなかったから、耐えてきたはずのことが、そして老いが、鍵穴を回し、隠しどころのなくなったものが、娘を悩ませ、苦しめた。娘、リーヴも介護の日々の辛さがなかったら、『海からの贈り物』の作者の最後を赤裸々に語ることもなかったろう。その後を伝えることによって、娘も解き放たれたい桎梏があることを自覚していったのではないだろうか。いくら賞賛されようと、無理に心を抑えて生きてはいけないのだろう。人生は長くなった。苦しみは、人生のどこかで変形して出てきてしまうものだから、若き日の忍耐が子孫を悩ませる種にもなる。
うーん、だから芳兵衛のその後も気になる。