手にしたものは本しかなかった

学生時代、古本屋に通うようになったきっかけは、幼い日に読んだ料理本や児童書を探すためだった。
 小学生の頃に、父は故郷に転勤して、祖父母と同居が始まった。共稼ぎな上に田畑の世話も増え、何かと慌ただしく、核家族の小さな団欒は消え、料理の本とお菓子の本が姉弟の絵本代わりになった。
 十八の独り暮らしの時に持ち出したのは、幼い日の思い入れのあった古い料理の本とお菓子の本。料理の本は主婦雑誌の別冊みたいなもので、「アッ、それはまだ食べられます」という特集とイベット・ジローなどがニンニクの効用を語る特集があり、「おなじみのおかず」というようなタイトルだった。お菓子の本はカラークッキングシリーズと、主婦の友生活シリーズのもので、いずれも22年間で、5回引っ越すうちに手元から消えた。
最近、昭和の料理本はネットでは価値があがり、逆にブックオフなどでは元が100円では値段がつかないせいか買い取りをしないのか見なくなった。栗原はるみ藤野真紀子、有元葉子が、グラビアばっちりの料理本を怒濤のように出していた15年前あたりは、昭和の料理は見向きもされなかったようで、安く古本屋に出ており、また古本屋の裏に住んでいたので、同じようなおかずの本を押し入れにコレクションしていた。
今は落ち着かない生活をしているので、そんなことはしていないが、一時期は、肉じゃがの作り方ひとつにとっても今と昔ではどう変わってきているのか、また、一人の料理家の歩みの中で同じレシピがどう変遷して、弟子やアシスタントをしている人にどう伝わっているかなどを見て、「おー進化している」とか「こっちに受け継がれていったのか」と文学でいう写本を比較するようなことを楽しんでいたのだった。
今は、料理本を実際手にいれるより、様々な人が大切にしている料理本やレシピのエピソードを読んだり聞いたりするのを楽しみにしている。
たまに料理家の蔵書が白黒ページで紹介されているが、ほんの数冊で、食い足りない内容のことが多い。大抵手に入らない貴重なものが多いから、もっとカラーで、内容も詳しく載せてもらいたいものだ。城戸崎愛さんは最近自伝的な本に、影響を受けた貴重な料理書を紹介しているが、小林カツ代さんが、かつて大和書房の本の中で紹介していた明治、大正の料理書の蔵書を誰かが紹介してくれるなんてことがいつか来るのか、滑稽なことだが、勝手に心配している。
 また料理家の経歴は文学者より、文献に残りにくいのでメリー南、小林トミなどよく見かけているのにどういう人かよく分からないということが、ままあって歯痒く思う。河野貞子や江上トミだって有名ではあるが、誰もがよく知っているわけじゃない。きょうの料理や女子栄養大のアーカイヴスのデータだけにとどまらないものもそろそろ読みたいものだ。ちょっとした人物読みものはきょうの料理の歴代ディレクターが出しているが、村上信夫や小野正吉と比べると、家庭料理をレシピとして伝承してきた貢献度は同格なのに、文献が少なすぎる気がする。

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今度の震災では、丸ごと大事なものを失う経験をしている人が多い。しばらくは生活を支えることで手いっぱいだと思うが、そのうち自分の大切だったものをまた探してみようという気持ちが出てくると思う。その時に、図書館や書店にその求める一冊が、手に届くように、置かれているといい。生きてきた歴史を愛しむことができるように、そんな本が集まる場所があれば、誰かしらの心の助けになるだろう。新しいからといって、むやみにあっても、要らない本というものはただの重荷となってしまうものだから。