空豆ばなし

西濃には「みょうがぼち」という小麦の厚い皮で空豆の餡を包み、みょうがの葉で巻いた郷土菓子がこの時期和菓子屋に並ぶ。郷土菓子のわりには、作り方を知る人は周りにおらず、西濃出身の親もうろ憶え、地元の人に聞くと、どうも大昔は家庭で作っていたらしいが、それを商品化した「おもと」というお店に買いに行くのが還暦近い人の子ども時代に、もう普通だったらしい。その店は、街道沿いの車を停めるには不便なところにあるが、今の時期、ひっきりなしに電話は鳴り、アナログな店なので買うのも一苦労らしいのに、記憶の味を唯一と思っているのか、大きな和菓子屋では買う気を見せない母である。 空豆というと、子どもの頃に、目玉を連想させる花はそこかしこで見たが、最近になるまで、自分にとっては、あまり親しい味ではなかった。
沢村貞子『わたしの献立日記』の有名な献立に、昭和41年4月22日「牛肉のバタ焼き、そら豆の白ソースあえ、小松菜とかまぼこの煮びたし」というものがあるが、学生時代、そら豆の味がぼんやりとしか分からない自分は、「ソース」とあるのにかかわらず、これを白和えみたいなものと勝手に解釈していた。後に講談社の「MINE」の再現料理で、これは空豆のホワイトソース和えと知った。貧血持ちで、体力がないと自覚していた沢村貞子は、肉などは好まなかったようだが、生業に向く身体を食によって作っていったのだ。そういえば雑誌には、『献立日記』がずらりと並んでいたが、あれこそ完全版が見たい。作り方検証つきで電子化してもらいたい。池波正太郎の献立は真似すると痛風になりそうだが、沢村貞子の献立は『ジュリー&ジュリア』みたいに読み手が真似をしたら、何か、メッセージが得られそうである。ただ、通いの魚屋はなし、八百屋も乾物屋も縁遠く、ビオフェルミンを入れて工夫する糠床もない者にとっては、実は、ファンタジー読物
に類いするものなのかも知れないが。