なぜなんだオートバイ

中学時代、浮谷東次郎に出会って、その後、片岡義男『幸せは白いTシャツ』(角川書店)を読み、この憧れを抱えて大人になれば、バイクに乗って日本一周くらいする日が来るのだろうと予想していたというのに、あれあれ…バイクは原付にも乗らず免許も取りに行かないまま、未来に来てしまった。
最近、素樹文生『旅々オートバイ』(新潮文庫)を再読した。さまざまな時期の旅日記をバイクにまつわるエッセイで繋いである。その中で、田舎の道で精米したての米を子どもから貰い、山の清水で炊く楽しみについて書かれた文章があり「これは、実に片岡義男みたいだ」と思ったら、文中に片岡義男を旅先で六冊買ったという記述がある。やっぱりね、と読みすすめれば、解説が片岡義男ではないか。若気の至りもここまでやったら記念碑だ。
『旅々オートバイ』を手に入れたのは、いつのことだったろうか。年月日は朧だが、購入した日のことはよく覚えている。友人と高山に行き、これから岐阜に帰ろうかという午後、この本を書店で斜め読みし、不意に出てきた「塩沢温泉」の記述に惹かれ、というより、ただで泊まれる場所が付近にあるという好奇心から、夕日を背負い、東に車を走らせた。たいして土地勘もないのに。
塩沢温泉は同名で一軒宿の温泉もあるが、私達が目指したのは村の人が管理している温泉で、途中にあった道の駅で場所を聞き、かなり遅くにたどりついた。 土手のようなところに車を停め、そろそろと坂道を降り、真っ暗闇に安心して湯に入っていたのだが、後から付近でキャンプをしていた一行が風呂にライトを持ち込んで酒盛りを始めたので、バスタオルを被って這々の体で車に引き返した。もう素樹氏が泊まった宿屋の跡はなく、来た道を引き返し、道の駅の駐車場でシビックを停めて寝た。しかし、もう一度行ってみろと言われても、今は行き着けないだろう。あの時分はネットもナビもなかったが、文庫本一冊で辿り着いたのだ。感慨深い。
おりしも新聞にホンダ「CBR250R」とカワサキ「Ninja250R」が好調とある。 またバイク人気が復活なのだろうか。
しかし、あんなに憧れたのに、なぜバイクには乗らなかったのか。素樹氏は、子どもの頃、三日間だけ記憶喪失になり、そういう体験のある人は旅を好むようになると後に聞いたらしいが、ふと、溺死しかけ、その前後の記憶がない古い日のことを思い出した。どうもあのあたりからバイクより自転車派になってしまった気がする。バイクへの憧れを、今頃取り戻してなんとしようだ。
再読して印象に残ったのは、著者が悪天候の中、中上健次の『枯木灘』をテントの中で、ひたすら読み続け、町にカツ丼を食べに行った他は、ひたすら耽読していたという記述だ。前に読んだ時には、引っかからなかった頁だが、今にして思えば、中上健次が再び読まれている理由がここには書いてあるのじゃないか。