今更、シロー店長を憶う

本屋でバイトをしていたのは1991年。もうずいぶん前のことである。
当時は大学四年。今から振り返れば、就職氷河期元年、就職の当ては何もなかったという頃で、その後、臨採講師の仕事が見つかったのはかなり後だった。そういえば、あの時、なぜ本屋に勤め続けようと考えなかったのだろうか、と石橋毅史『本屋は死なない』(新潮社)を読んだ後、いろいろ思い返してみた。
勤めていた店は、当時は関西に拠点があったチェーン店で、ショッピングセンターの中にあった。店長だけが正社員で、開店初日は本部から応援が来たものの、あとは5人のバイトで立ち上げた。 岸部シローにそっくりなので、すぐにシローと渾名がついた店長は、パチンコのことしか喋らず、今から考えても全く存在感がない人だった。店長シロー以外は本屋の仕事は素人ばかりだったというのに、開店当初から、「電車の時間があるから」と閉店よりはるか前に帰ってしまうのが常で、いつ店にいたのか記憶もない。それともあれは、親会社の影響を受けた方針だったのだろうか…一人は紳士服の販売、もう一人は婦人服のパタンナーから転職した二人の女性が通常店を仕切り、私を含めて三人の学生達はシュリンクがけや紐かけ、レジ打ちなどを指示されたままにやっていた。
当時、棚に何か工夫があったとも思えないが、夜、売り上げを計算機にかけにいくと何十万と表示される時代だった。それでもフロアを二分するレコード店のS堂の売り上げのほうがはるかに大きいため、「世の中の人って、本よりも音楽のほうにお金を使いたいのか、本もそのうちCDかゲームソフトみたいにならないと売れなくなるんじゃないか」といつも思わされていた。
本屋勤務は店長シローには親しみが持てなかったものの、飲みに行ったりカラオケに行ったり人間関係は親密だった。けれど、そこには本屋なのに、本に興味がある人が一人もいなかった。スケジュール通りに本を右から左にただ売るだけの仕事が23歳の人間に面白かろう筈がない。占いや他人の労力をうまく掠め取るビジネス書が無理矢理作った流通で売れた時代、本屋は「読者が望むから」と多くの読まれないとされる本と作家を葬ってきた。そして自身も死に近づいていったのではないか。
学校を卒業した私は、チェーンの本屋がバタバタ閉まっていった土地で暮らし、しかし、特別支援という専門外の仕事に就いたために、ちくさ正文館の二階(二十年前は教育書が置いてあった)に通っていた。あれは、本当に助かった。そういう人は他にもたくさんいたと思われる。
その、ちくさ正文館の方をはじめ、『本屋は死なない』には魅力的な書店員が沢山出てくる。若い日に出会ったのが、店長シローじゃなく、この本に出てくる人々だったらと思う、ただ、この自分の性根の座っていない性格を思うと、カリスマ的な人がそばにいたら、影響を受けまくってトラウマを抱えそうな気もするので、店長シローぐらいで良かった気もするが。
今、巷でガイドされている売れそうな本は、昔のグラビアに載っている買えない服みたいな位置にあるような気がする。そういう本も大事だろうけど、一般の生活というのは、六時半に起きて、家を出て、十時に帰り、十二時に寝られるか、とにかく眠たい、小遣い一万円というものだ。そこに何とか本を届けていただき、末永く、本屋さんには生き延びてもらいたいものだ。