またつくる

 子どもの頃から、シンプルシック、清貧の思想、少欲知足とか、持たないことを奨励するスローガンを聞いて育ってきたわりには、その世界を芯からは肯定する気になれないのはなぜだろう。
 「削ぎ落とす」という前にはやはり、豊饒な時を知る期間はいるのに、もう経験してきたことだろうと広め手に勝手に判断されている感があるからだろうか。
清貧を剥がしたらただの貧だ。

マイノリティな世界に身を置いていると、物や事を身の回りに置かないことや、(弱い立場の人に)節度を強要し、己だけ清々しがっていることがそんなにいいことか、あんた(岐阜弁)のポリシーのために生きとる人なんておらへんて!と他人にはずいぶん見当が分からないことでちりちり焦れている。


 だけど、私という世帯主さんよ、本も今のままでは、買うことができるものは限られる。詩集を作らねばならんのに、狭い部屋では寝るところしかないじゃん。時間も買えるくらいどんどん稼げばいいのに、相変わらず秋は経済状況レッドゾーン。ツイートといらん世話焼きだけは過剰だが…
 
そう、詩集をまた手製で作ろうと思っている。発行日は誕生日の10月18日。まだWebから詩を取り出してもいないから、去年の作業具合からするとかなり無理な気がするが、ここで宣言しないとまたやらないで終わりそうだからなぁ。本当は下鴨と思っていたのに、全然取りかかれなかった。


さて、今日は11月からの詩をまずは出してみよう。