子浦の海・詩人が眠る地で


堂ヶ島行きのバスは、暫く山道を走っていたが、そのうち、車窓の左手に海が見え、坂を降りて漁村に差しかかった。「次は子浦」というアナウンスを聞いて、文学記念室で観た画像が浮かび、降車ボタンに手が伸びた。狭い道が続き、バスは待避場所に入って対向車を暫くかわし、ゆっくり村に入っていった。次の乗り継ぎのことが心配になったが、まだ昼を過ぎたばかり。乗客が空になったバスを、誰もいない公民館前で見送った。
この日は、南伊豆といえど寒風が勢いをまし、浜に近づくと頬が急速に冷えていくのが分かった。
携帯で石垣りんさんの菩提寺西林寺の地図を検索してみたが、空白が多く、目印のものの位置も分からないので、まずは目の前の浜に出ることにした。
 魚や大根が干してある民家の前をしばらく歩き、コンクリートの堤を上がると、海は曇った空を映し、波飛沫を盛んにたてていた。 鳶がくるりくるり舞う他は、動く影は何もない。
バスが一時間後に出るので、何か食べようと浜から出ると、磯料理の店があり、そこだけ賑わっている。 朝から食事らしい食事をしていないので、これ幸いと店に入った。
バスの時間を告げると、てこねめしを勧められ、混ぜる刺身を選んで(ムツだったか)暫く待つ。家族連れが何組かいて、煮魚やメロンを前に、皿をくれ、座椅子はないかと盛んに注文をつけている。来た道にファミレスなどなかったから、座敷のある店でくつろいで過ごすのが、こちらの習慣なのだろう。時間がないという焦りから、15分くらいで食事を済ませ、勘定の時に西林寺の場所を聞くと、店のおかみさんが「何か七回忌が済んだばかりと今日書いてありましたよ」と新聞を出してきて下さった。そして、店から石垣さんのお墓は近いと聞きダッシュで寺に向かった。 西林寺は民家のようなたたずまいのお寺で、すぐ左手から階段状にお墓が並び、上のほうに立つと子浦の様子が一望できる。
石垣さんのお墓は法要が済んだばかりとあって、まだ新しい花が備えられていたためにすぐ見つけられた。ピンクの百合がやさしく薫っていた。坂を登りきり、墓地の端に立ってみる。街中で終生を過ごした石垣さん。両親が眠るこの地に還りたいという願いがかなったことはすばらしい。潮風の吹きあがる空を見ながら、石垣さんを今なお支えている多くの人がいることを思った。
 
村      石垣りん


ほんとうのことをいうのは
いつもはずかしい


伊豆の浜辺に私の母は眠る
が。
少女の日
村人の目を盗んで
母の墓を抱いた


物心ついたとき
母はうごくことなくそこに
いたから
母性というものが何であるか

おぼろげに感じとった。


墓地は村の賑わいより
もっとあやしく賑わってい
たから
寺の庭の盆踊りに
あやうく背を向けて
ガイコツの踊りを見るとこ
ろだった。


叔母がきて
すしが出来ている、という
から
この世のつきあいに
私はさびしい人数の
さびしい家によばれて行っ


母はどこにもいなかった



選・鑑賞解説/井川博年 エッセイ/重松清『永遠の詩05 石垣りん』小学舘
より


 この、子浦に降りた12月26日は石垣さんの命日であると後で知った。七回忌は早目に行われていたのだそうだ。記念室を訪う人も、だから多かったのだろう。