走れ!走れ!感傷旅行のその先に
詩集『二月十四日』に、昨年6月7日に、この場所で書いた「8月」という詩を載せた。
詩の元になったのは、酒田への旅。台湾の自転車旅行の後、まだカステラのように日焼けした腕でハンドルを握って旅立った。
8月
頬張ったなりの
ひときれの記憶
宮城から山形へ
あなぼこの国道を
ぬけていけば
はさのむこうに
うみが
のぞいている
かたわらのひとの
唄声だけ残る
かわいた道、道、道
水平線から
太陽は消えて
それなり
あわずひさしい
先日、その酒田に一緒に行った大学時代からの友人と、久しぶりに信楽までドライブした。下鴨の古書市を堪能して、岐阜に帰る友人を草津まで見送る筈が、なぜか「信楽に行きたい」と思い始め、そうなると、瀬田川沿いを友人にナビをさせながら走りに走ることに。
かつての酒田への旅は、その当時の心の傷手を正視しないでいたかったのか、目の前のことに追われるための遠出だった色合いがあった。彼女には何も言わなかったし、また、何も聞かれなかったが、穴ぼこだらけのいわゆる「酷道」を地図も見ないで走り抜ける友人(私)の姿をどう思ったろう。
まあ、もともと、相手の状態には頓着しない人ではあるので、ラジオも入らない車中に、唯一積んであった浜田省吾のテープの「ブレスレス ラブ 」と「防波堤の上」を息継ぎまでコピーしようと幾度も幾度も聞いては歌っていて、私も参加。中学男子といい勝負。
鳴子温泉に泊まった晩、湯に入ったら日焼けの皮が急に剥け、寂しい気持ちになったことをうっすら覚えている。
信楽は遠いと言えば遠いが、京都からは近い。しかし、何もしらべて行かなかったから、窯元の閉めきった玄関の前で呆然とすることを繰り返し、やっと最後にご夫婦でされている窯で「遠くから来てくれた」からと思わぬ歓待を受け、知らなかった場所に少し縁ができた。
いつかの旅と自分では違うつもりだったけれど、思いつきの、韋駄天のような車旅に「相変わらずだな」と友人は思ったろうか。
しかし、振り返ると傷ついた時も引きこもれず、そうやって生きてきた。
そして、遠い記憶は、今年、詩の言葉になって、別の旅を始めたようだ。