佐藤泰志 誰が悲しいだなんていった


誰が悲しいだなんていった

馬券を散らす男たちを眺めながら
清潔な店で古い女友達と新しい女友達と
映画をみたあとでちょっとビールを飲んだ
それから街路樹の陰に生えていたビワの木から
三個の実を盗んで歩きながらむしゃむしゃ食べ
磨きあげた兎の眼のようなタネを吐き散らし
まるで僕らは世の中のすべてを相手にして戦っているんだ 三角関係を武器にして
とでもいいたいくらい陽気に歩いている


そんな陽気な日曜日なんて嘘だと
いっていいのは世界中でたったひとりしかいないと
知っているか



おい誰が悲しいだなんていった
僕のひとりの子供 僕のふたりの子供 僕の無数の子供の前で
これっぽっちも心をあかしたりなんかしない
だから今日は素晴らしいお天気で
その前に本当の喧嘩をすると
トウフ屋の角で誓った
そうして僕は今だに
自分を責めることもできない

『オーバー・フェンス』小詩集「僕はかきはじめるんだ」7号 1984年9月



 「映画・海炭市叙景」をのクランクインのニュースを見つけたのは、偶然のことだった。原作者佐藤泰志芥川賞三島賞の候補になりながら、41歳で自死していることは、岡崎武志さんのブログを読んで何となくは知っていたが、今、こんなにも、映画公開を待ち遠しく思い、そして、佐藤泰志によって、様々な方との交流が生まれ、そして出版というものの不思議さを知るきっかけが「偶然」とは、まったく、人生の予定なんて自分では分からないものだと思い知る。
 この「佐藤泰志作品集」は三年前にクレインから出版されている。「海炭市叙景」を一部読んだことがあるだけだったので、41歳で寿命を迎えた作家にしては大きな本が編まれていることに驚いた。
しかし、北海道の佐藤泰志を20年間研究しておられる本間恵さんと、クレインさんに聞いたところ、作品は、もっと眠っているらしい。そうと、聞くと作品集を読めば読むほど、作家の無念が乗り移ってくる心持ちになった。 佐藤泰志は、村上春樹や先に物故した中上健次立松和平と同世代の作家だったが、なぜか生前には出会えていない。 今回、読み進めて、一番自分の身の上に重なってきた作品は「虹」だった。20年前、この小説に出会っていたら生き方が違ったかもしれない。
 地方に住んで、家族に苛立ちながら暮らし、都会暮らしを考える男がいる。時はGW前、突然現れた女、その女に追われている今でいうニートな友達。心の調子はずしている父親、穏やかな恋人…周りに現れた人々と言葉を交わす過程で、最終的に男は土地で住むことを受け入れていく。私は、田舎に帰ることが怖かったのかそんなにも。主人公の背中を見おくるような気持ちで一編を読んだ。

 先に挙げた詩は軽やかでいるようで、格好よくない野生が出ていたり、自問自答したり…でもやはりスマートでありたかったり、非常に細かく揺れる作者が口ごもってそこにいる。
 あなたは愛され、こんなに書けたのに、なぜ死んだりなんかして。僭越だが、前掲の詩を読むと、詩の中のあなたに親しい言葉をかけたくなる。心にかなうことなど何ひとつないながら、凡人だから死なずに生き、今年41歳にさしかかった私だから言いたいのだ。
 クレインさんのブログを読むと、「海炭市叙景」撮る熊切和嘉監督は「普通に生きている人々こそ、自分が素直に撮りたいものだと気づいた」と撮影する体験を通して語っておられたとか。これは、紛争、不況、頭の上の他からの操作に疲れた世界に生きる人が、もう共通して思っていることだろう。
 作品を読む限り、佐藤泰志が物故した作家だとは誰も思わないだろう。この国の20年は止まったままなのだ。佐藤泰志を読んで越えていくことで、私達の次が始まる。そんな気がしてならない。


【映画・海炭市叙景】は監督・熊切和嘉 出演・加瀬亮小林薫南果歩谷村美月でこの秋に公開。30日にはフィルムがオールアップされ、募金を寄せた皆さんの名前を今、クレジット製作中の追い込みです。 北海道の盛り上がりを是非全国にも広めたい。
ビッグネームでの映画化が決まってもなお、出版が決まらなかった経緯がありましたが、Twitter上の本間恵さんのツイートが書評家、豊崎由美さんの目に止まり、リツイートの結果、小学舘の村井康司さんの尽力で10月に小学舘文庫から発売です。奇しくも誕生月にさしかかり文庫化が発表され、亡くなった月に発行されるのです。今もなお読者に愛されている作家だから起きたことなのかもしれません。