堀田善衛は何食べた

寝るしなに、堀田善衛『インドで考えたこと』(岩波書店)をぼうっと読んでいた。
 二十年前に女友達とインドに行こうとして、タージ・マハルあたりを観光するツアーを旅行社に申し込んだことがある。この『インドで考えたこと』はその時に手にいれた。
 結局、インド行きは、軽い気持ちでした見合いで、急に婚約することになった友人が、キャンセルを申し出てきたために、「まあ、そのうち」という気持ちで中止にしたが、インドには未だに縁がない。
 『インドで考えたこと』も、それからずっと放置していたが、検診で絶飲食の夜、ひもじさに目が覚めて、食の場面がない読み物はないかと探して堀田善衛にたどり着いた。
 今の本で、インドに関するものだったら、彼の地の豊かな食に触れない本など絶対ないだろうが、1956年、第一回アジア作家会議に突然参加することになった堀田善衛は、狼狽えながらも、泉のように湧いてくる様々な言葉を記しながら、食に関しては、「どうしたんだ」と突っ込みたくなるほど、淡白な態度である。
「私は、恐る恐るあたりを見廻し、インド食は、当分胃腸がなれるまで敬遠することにして、洋食(ウェスターン・デイッシュ)を注文することにした」
 のっけからこんな調子である。ウェスターンならぬイングリッシュ・デイッシュを頼み、「英国というものが、どんなに深く中層以上、あるいは上層の生活に滲透しているかを、そこで痛感しないわけにはいかない。」と語りながら、「パンは、穴だらけで、向こうが透けて見えそうであり、バターは、ねばり気がなく、従ってパンに塗りつけても伸びがない。うまいものは、生野菜のうちでも、細い、頼りないような大根であった。」
 美味しそうな記述が微塵もないのがありがたい。
 ネルーを読み、漱石が和歌山で行った「現代日本の開花」という講演を思い浮かべながら、作家は冬のインドを散策する。「故国をはなれ、私のものの考えは、親しみ深い、思考などととりたてていわなくてもよいような具体的な日常のひっかかり、対象を失い、目新しい対象にばかり毎日襲われつづけ、その結果本質乃至は抽象と思われる核のようなもののまわりを、ぐるぐると漂泊し廻転しはじめた。」こういうの、大昔、共通一次試験の模試で見たっけなぁ、とこっちもぐるぐるに巻き込まれかけると、「この小さな手記を眼でたどってくれている人にも、しばらく脈絡のない思想的な遊行に出ていただきたい。」と、急に肩を叩かれるような記述もあってびっくりさせられる。
有名すぎるがあまり、読んだ気になっているけれど、実はよく知らない作家の筆頭が堀田善衛だった。検索してみると、7月7日生まれだとか、富山出身で、富山で最初に保育所を開いた人を母に持つなどと知らないことばかり出ている。育った場所が伏木だったから、後に世界に目を向けるようになったそうだが、逆に食に関して保守的なのも、ルーツにあるのだろうか。
 3ヶ月を越える時間をインドで過ごして、カレーについて書かれているのは、「山羊の脳味噌」の章にある僅かな記述だけである。
 「その山盛りの米の上へ、にゅうっと腕がのびて来て、どす黄色いカレーと、どす黒いようなどす赤いような羊肉のまじったものがかけられた。これはえらいことになったな、と思っていると、更にもういちど、今度は深紅色の見るからに、頭の皮から汗が吹き出そうな、たっぷりとした液状トンガラシに浸した肉片が蔽いかぶさって来た。灰色の米の上に、どす黄色いものと、深紅色。」これ、食レポーターが見たら、絶句しそうな実況中継である。「仕方がない、私はスプーンとフォークをあやつって、ひっかきまわし、灰色と黄と紅がまざりあって、遂にどす黒くなったものをひとくち、口に入れた。そして思い切って嚥下した。それは、もう辛いなどというものではない。頭のテッペンから汗が吹き出すような気がした。気も遠くなりかけた。」
 大丈夫か善衛、何を食べたんだ。サブジなのかビンダルーなのか何も分からないぞ!と空腹のあまり、突っ込みたくなってしまう場面が続く。凶暴な辛さにやられた感を出すためなのかもしれないが、食べ物に「どす黄色い」ってねぇ。
「黄色いものと紅いものと、山羊のヨーグルトと脳味噌とでぐちゃぐちゃになった、黄、紅、白、灰色、これらのみんなにどす黒いのドスという形容をかぶせたものの盛り上がった皿を手にして、茫然としていると…」
まだ言ってる!見るに見かねた詩人がチャパティをくれたのに、「このチャパーティのなかにも辛いものが、ゴマのように、黒い点々をなして入っている。私は諦め、そして詫びた。」
 詫びたとは!いやはや散々な結末である。
 「私は元来、食通でもなんでもなくて、かたちがグロテスクであると思わさえしなけば、なんでも喜んで食ってる鈍感者なのだが、インドではつくづく降参してしまった。」という感慨が、二百年もインドを統治して、まずい食べ物しか残せなかった国への疑念に発展していたが、最後まで美味しそうではないところが、空腹の夜には有り難い一冊であった。
2014.7.1