サイレン

彼の日、空に掲げた サイダーの泡をくぐって 四十路という 炎天の下 沈まない 尻を逆立てては 草で拭いた ゴーグルで見た 水底の石それは 流れの中でこそ 美しい 空き缶の中の 黒い雨蛙 子どもの頃に 見たきりだが非常時のように 胸が鳴る まさか今まで 淵に…

Bildungsroman

ビルドゥングスロマン、という言葉を知ったのは、曽野綾子の『太郎物語』を読んだ時だった。しかし、太郎物語の太郎自体は1980年代の中学生から見ると、高校篇でもずいぶん老成しているように感じたから、成長物語とは感じなかったけれど。下村湖人の次郎物…

因果な贈り物

先の鹿児島行きの時は、姫路で買った岩波版の『暢気眼鏡・虫のいろいろ』を車中で読んだ。 夫の筆からなる妻の「芳兵衛」の行動力や言動は、デフォルメされているのかどうなのだろうか。欲しいと思い立ったら火の玉のようになり、そうかと思えばクラッシック…

今ごろ魯人

もう来年はロンドン五輪なのかと気づく。前回の北京五輪の年は、全く五輪とは関係なく上海、烏鎮に遊びに行ったのだった。 2002年の冬、仕事がらみで上海に行き、その時は福祉施設の見学や行政の催しばかりで、もっと自由に見て回りたいと思いつづけ、6年目…

70'S

母の歌を 瞼を閉じるために 聞いたことはない 横になるそばから 上掛けを すっぽり纏い 鼾をお守りに 父は肩山の線だけになるばかり 国道から聞こえる 旅する人の 残響を 握りしめ ねむる、そばで 子ども時代は 川霧の下手に 消えていった

古本西遊記

倉庫を借りたり、車が故障したりと、この夏は物入りが続いたので、どこにも行かないつもりでいた。しかし、岐阜は暑い、アパートは狭い、まあお盆休みに備えて18切符でも買うか、と駅に出向いて窓口に並ぶうちに、西へ行く切符を手にしていた。旅の支度もし…

源から

この身体を透かせば 宇宙から飛散した成分が 残らず見つかるという 夜が しみわたった 七月の大気は 湿ったシーツのようで 束の間 細い口笛で 星の歌を鳴らせば 血を食んで生きている ことを 忘れられるだろうか

『星を撒いた街』に思う

出会うタイミングで、印象が違ってしまうのは、本も、人も同じなのかも知れない。 上林暁『聖ヨハネ病院にて』が、少し前に本屋に並んだ時、ちょうど杉田久女の伝記や高村智恵子に関する本を読んでいた。精神疾患に理解が進んでいない時代の病院の、患者の治…

空豆ばなし

西濃には「みょうがぼち」という小麦の厚い皮で空豆の餡を包み、みょうがの葉で巻いた郷土菓子がこの時期和菓子屋に並ぶ。郷土菓子のわりには、作り方を知る人は周りにおらず、西濃出身の親もうろ憶え、地元の人に聞くと、どうも大昔は家庭で作っていたらし…

小鳥峠

全山を 覆い尽す 一枚一枚にも 宿命がある 芽吹いたのち 広げた鶸色は 水無月にもなれば 吹きあがる屋根となり 藪蚊の棲む 薄い闇に 白い花を集め 再び 夏が現れた

捨てても増えるのは 仕方がない 生活も 思い出も 余計を詰め込んでも 恥じずそのくせ いつ 朽ち始めるのだろう、と いつからか 解を待っている 悔しい荷を背負い 家路を辿るは 毎度のことであり アメリカザリガニしか 棲まない 溝の時代は 酸欠ばかりで 美し…

収穫の季節にそなえての 準備が始まる 背の低い果樹園で 葉が15枚につき 花がひとつ 陽と水の味を 味わう前に 小さすぎる花は 几帳面な手で 摘まれてゆく 傍らの廃園では 薄緑の花が 枝に咲きほこる やがて来る季節には 小さな実は鈴なり 樹皮がいつか 芯か…

菜園

野菜苗が店頭に出るのを気にしていた年月があった。山の上の学校に勤めていた時には授業の一環に畑作があり、初夏になると、さつま芋の苗を多治見の街の苗屋にまで買いに出掛けていた。藁で縛っただけの苗の束は、ほどいて植え付けたすぐは、くったりして一…

樹の花

息をようやく吐き 水を飲むどちらに 光はあるのだろうか めぐった血の あたたかさに導かれ おぼろげな 道をたどる 地図を読む 細かに降る 目蓋を模した花 いつかの朝も この路に 立っていた

beans

ちいさな布巾で 磨きあげてきた ものに 惜別はあるだろう しかし 元の生活というのは 雨ざらしのベンチのように 端から朽ちかかっている 穏やかではないことに も目を向けて 飲み込まれないために 噛みしめて 坂を辿るには 蔓のように絡まりあう くらしと あ…

友人の前に おひつが置かれたので 話をつづけながら ご飯を よそってもらう ありがとう と言って その言葉つきよりも 嬉しい気持ち これは何だろう 私たちは 烏の北斗七星の 向こうへ 教科書を投げ たがいに 二十年、出会う子どもの 世話をして なりゆきでこ…

常夜灯

今日も 陽は沈んで 何も見えなくなる 身の丈という 規矩の外へは手を伸ば さない そんなのしか 見たことがなかったが あの木曜日から 人は距離を 言い訳にしなくなった 声は人のために響き 耳はそよいで風を起こし 木の実のような真実は 丹念に集められ 地表…

移動動物園

佐藤泰志。『海炭市叙景』が昨年の10月に文庫化されたことに続いて、この4月、小学舘文庫から『移動動物園』、河出文庫から『そこのみにて光輝く』が相次いで刊行された。 デビュー作だという『移動動物園』。主人公は内心を語らず、次々と見たものが投げ出…

手にしたものは本しかなかった

学生時代、古本屋に通うようになったきっかけは、幼い日に読んだ料理本や児童書を探すためだった。 小学生の頃に、父は故郷に転勤して、祖父母と同居が始まった。共稼ぎな上に田畑の世話も増え、何かと慌ただしく、核家族の小さな団欒は消え、料理の本とお菓…

甘露

今日の月 梅酒の瓶から つまみあげた拍子に しずくが 落ちてくるような ストーブの灯油が ゆっくり巡る音を 幾夜も聞き 綴じ紐をひっぱり 年少いゆえに 尽きてしまう言葉に 焦れていた 爪の 飢餓線がなくなり 不似合いな 年輪を巻きつけ 古い葉を繁らせ やわ…

無題

子どもが鈴生りの 小さなアパートが 楽園だったことは 遠い遠い昔 昭和51年 あの河のそばで 暮らせないと きっと親達は決断 したのだ 山奥に連れて 来られた姉弟の 肩身狭く生きた傷は いくつになっても 癒えはしないけれど 若き日の 親の歳を私たちは 揃っ…

新年度

4年程担当した仕事場を離れる―といっても別に仕事の内容は同じで、階下に移るという具合―にあたって昨日は引き継ぎをした。引き継ぐ方が、超ベテランなので特に心配もなく、こっちも古巣に戻るという立場なので、あまり不安もなく春を迎えることができた。 …

白い花

幼き日 梅は親しいものだった 用水をまたぎ 白い花を探しに行くと 庇の奥でくすぶる弟等も 途端にはしゃぎだすの だった 鳥は どこから春を 抱き取り 翼を替えるのか 裏山で一日中 境目を見つめた 幼い手で残した 淡紅色のカリン ミツマタの黄色 薄紫を見せ…

『国道沿いのファミレス』

畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社)を10日頃に読み終えた。深刻なものを背景に抱え、事件になりかねない人間関係の中で、薄く薄く生き延びていく主人公には妙なリアリティがあると思った。 この本の広告には、女性関係が元で郷里に戻った主人公とあ…

その先に

「逃げられるから別々で」 それきりの別れとなった 父には 息子の命が 大事だった 共に逃れた 母娘 最後に離れた手を思い 母の嘆きは深い 「逃げてくださいと」 危険を告げながら 役場の女性は 津波に流された 最後の声を聞いた母も 今、無事だろうか 東北地…

言葉を失っている

このような時は、先を示す必要な言葉と、要らざる慰めとの差異がはっきりするものだ。ツイートは、RT以外暫く控え、こちらに日々のことを挙げます。Believe http://www.youtube.com/watch?v=IAo9hSR_9v4&sns=em

朝よ

この夜の 一分一秒は長い 生涯初めて聞いた ラジオからの叫び その直後 集落へと 黒い波が押し寄せていた 命 、 命 、 命 、 命 、 命 、 命 … 夜通しの余震に 凍えたすべてを 再び 陽の光が 暖めて くれることを 勇気づける何かが 見つかることを 今 心より…

コーヒーテーブル

ガラス窓ばかり 目立つ席だ 夜更けは 銀髪の一人客が目立つ もう 充分だから レシートの中に 何かあるかと 探さなくったっていい 邪険にしようが 随いてくる 植木だの排ガスに紛れて 弱味というものは 睫毛が美しかろうが なめらかな唇を 開こううが ささい…

春だけど

23歳で当時でいう養護学校(今は特別支援学校)の講師に就職して以来、11年前に転職して以降も、年度末というのは、いつも心休まらない。特に東濃で長らく講師を続けた最後の年、単年度契約とはいえ、3月15日になってから「高校の統廃合があって国語の教員が流…

幼魚のような時を経て 手足がやっと 邪魔にならなくなった もう 重い頭を それほど頼みに しなくとも いいのに 怒声や いちめんの涙を 細かい疑問で 包まずに 軒下でやり過ごす すべはないのだろうか 花が朽ちても いつまでも なぜという人はいない 起きた犬…