堀田善衛は何食べた

寝るしなに、堀田善衛『インドで考えたこと』(岩波書店)をぼうっと読んでいた。 二十年前に女友達とインドに行こうとして、タージ・マハルあたりを観光するツアーを旅行社に申し込んだことがある。この『インドで考えたこと』はその時に手にいれた。 結局、…

これはまたなんといふ味

手元にある昭和40年代~50年代の家庭料理の本に、筒井載子の「料理」は数多く登場している。しかし「料理家」としての、筒井載子の人となりを意識したのは、『テレビ料理人列伝』(河村明子著・NHK生活人創書 電子版あり)を読んでからだった。 戦争未亡人の筒…

食べさせるよろこびをつづる

ホテルのビュッフェ式の朝食には、目の前でオムレツを焼いてくれるコーナーが設けられていることがある。自分では、オムレツもどきしかできないけれど、プロが焼いているのを見ると、その手際の良さに目が離せなくなる。 といた玉子をレードルで掬い、油がよ…

コルドンブルーに何がある

テレビ番組「フレンチ・シェフ」で、フランス料理を60年代のアメリカの家庭に広めたジュリア・チャイルド。今年は生誕100年にあたり、この一料理研究家の誕生を祝う記念行事が、この夏、全米各地で盛大に行われた。アメリカ以外での知名度が、どれほどかは分…

愛される時は思うより短い

「クロワッサンで朝食を」は、イルマル・ラーグ監督の母の実際の体験が織り込まれているという。そのせいだろうか、雪深い町で、飲んだくれの元夫に手を焼きながら、寝たきりの母の介護をしているこのエストニア人のアンヌを、なぜかよく知っている気がする…

おじいちゃんの「洋食や」

たいめい軒主人だった茂出木心護の著書『洋食や』(中公文庫 電子版あり)の解説は、詩人の高田敏子が書いている。 「茂出木さんは昭和六年中央区新川に「泰明軒」を開店されて、戦後の二十三年、日本橋に移り「たいめいけん」となった。そのお話をうかがって…

鏡花と旅行笑話

JR大垣駅で電車を待つことがあり、隣接するショッピングモールの書店に寄ると岩波文庫の『鏡花紀行文』(田中励儀編)が目についた。このところ、世間が休みの頃に仕事が立て込むのだが、今年はまとまった代休もとれないようだ。旅に行かれない憂さ晴らしに、…

おばあちゃんの料理が語ること

『さらば富士に立つ影 白井喬二自伝』(六興出版)によれば、作家になる前の白井喬二は、故郷鳥取の友人と、神田錦町に出版社を設立した。そこで、毎日原稿を書き、疲れると窓の外の「松葉屋染物店」の紺のれんを見て目を癒した。この染め物屋に京都からときど…

大統領に捧げたニンジン 

女性シェフ、オルタンス・ラボリが、エリゼ宮のプライベートシェフにスカウトされ、ミッテラン大統領に最初に出したのが、サヴォワ産キャベツとサーモンのファルシだった。「ちりめんキャベツ」と字幕にあったサボイキャベツは、日本でも最近は見ることがあ…

さまざまなことを ひとつひとつ 転がしているのにも飽きて 永遠の塩で蓋をして 地に埋めて 枝を斜めにさしておく ばらばらこぼれる老いは そのうち皮になる さしのべた腕は 白い花に飾られ ふかみどりの葉を繁らせる すべてを忘れてしまうころに 誰かが皮を…

転がらない石を抱えて

半島の突端に 打ち寄せられた 忘れ形見から 蔓は伸びて 梅雨の雲を 招く 足裏の記憶で 道を辿れば 灯台は閉鎖されていた 釣り人の影に 満潮が重なる 寄る辺ないものが 集まる浜を ベランダから見下ろし 四方八方に 砕ける波を瞼におさめ ひとよは終わった テ…

飛来

ついに車の窓を 手で擦って 目を凝らす 突然の雪に 塞がれた夜道 弟が 娘が生まれた と知らせてきた 父に そっくりな声で 11時11分に生まれたのだと 四十を迎えても 昨日の夜道を まだ歩いていると 信じ いつまでも育ちきらないで 平気でいたけれど 抱き上げ…

街道筋

その土地は 嫁入りには小銭を撒くと聞いた 青白い 学校の友だちが生まれた 空の狭い町 本陣があった ところに 小学校がある 雪の校庭には 犬の足跡ばかり ここは もののはためく音が いつまでも、いつまでも 聞こえている あるものより ないものの多さを な…

新春騒動

正月は子規の『仰臥漫録』を読み、「臥して味わう」というテーマで何か書くことを思いついた。夏葉社さんの『冬の本』に天野祐吉が、谷内六郎の限定版の病床日記があると書いてたな…と普段は夕方にしか行かない県立図書館に出かけ、あれこれと本を読んでいた…

ひめくり

すべて外して 今が終わることを念じ 踵をひきずった 家路糸も梯子も 空から降りてこない無口になって 薄いノートを 埋めた 遠い春 もうじき誰も いなくなる もらった 孔だらけの柑橘を 剥いて皿に並べたら 水気のない中身を だだ二人だけ 立ったまま 慈しむ…

「落葉降る下にて」から「寿福寺」まで

虚子記念館は、松林の公園近くの住宅街の中にあった。阪神の震災の跡ではないかと思われる取り壊しの跡や、陋屋がぽつぽつ残る川縁を歩く。昼食に訪れた喫茶店や、お茶を求めた駅前のスーパーでは、年配者が目についた。小倉ではコンビニでも居酒屋でもハン…

久女の句稿

小倉にある北九州文学館で杉田久女展が先月の25日まで開催されていた。久女については近年様々な研究本が出ているが、様々な句の生まれた縁ある土地に、まずは行ってみなくては、と思いたち、師走のある日、西に出かけた。車中では、岩波文庫から、復刻され…

森田愛子をたずねて

みくに龍翔館は、えちぜん鉄道三国駅の北東の坂道を登ったところにある。森田愛子と伊藤柏翠の展示は、二人の句の軸や、虚子の葉書などが並び、詳しい年譜も掲げてあった。ミーハーな動機ながら、実践女子専門学校時代にも、道行く人が振り返ったという森田…

虚子の小説を読む  ヒロインを辿る旅 三国

虚子が杉田久女を題材として書いた小説に「国子の手紙」という一篇がある。 「私」宛に優秀な句を寄せていた女性が、次第に常軌を逸した手紙を夥しく寄越すようになり、偏執的な振る舞いをみせるようになった後、精神の平衡を欠いて死んだと聞き「私」は、や…

遊覧船  

陸に抱き取られ いずこにも 往かれぬ古代湖 かつては、四方に溢れたというが その跡は砂に覆われた 三人・・二人・・七人・・ 五人・・・四人見習いの札をつけ 青年は家族写真を商売にしているといい 無愛想に 空を指す 誰かが 葦のかなたに 見た柱を 小船の…

百歳白書

働かざるもの 食うべからずの国では 床の間の花のように 人も 長持ちしなくては ならないらしい 深夜のファミレスの店員 は 二十年前から変わらない どころか 説明もなく 若返っている 不惑越えの 選手は退かず 良い歳のお母さん達も 自発的に脱ぎだし 扉を…

露命

昭和43年にひらかれた ばら園の話を聞いた 福島第一原発の事故後 主を失った花は 草の中に埋もれた 貧しさが染み渡って 行き場のない時代があり 人は せめて胸に宿るものが どこかの山奥に 花を咲かせると 信じたものだが その花をも 自分たちの手で 毟って…

今更、シロー店長を憶う

本屋でバイトをしていたのは1991年。もうずいぶん前のことである。 当時は大学四年。今から振り返れば、就職氷河期元年、就職の当ては何もなかったという頃で、その後、臨採講師の仕事が見つかったのはかなり後だった。そういえば、あの時、なぜ本屋に勤め続…

伝説の人

中山千夏の新刊『蝶々にエノケン 私が会った巨星たち』(講談社)を読んでみると、様々な名前が詳細な記憶と共に綴られているのに驚いたが、佇まいが似ているとも言われ、そばで影響も受け、後には菊田一夫の引き立てを巡ってライバル的な関係になりかかった…

エバーグリーン

狭いような 世間に居て いつしか老いの眼鏡を得 内やら外やら眺めれば 千年に一度の事態より 自分の波に 気をとられ 数多の頭が 一様に揺れている 平和は続いてきたと 思いこまされてきたから 家族史に 痛み止めを流しこみ 普通を胸につけて 黄色い帽子を 被…

未熟

一キログラム という重さは 人が決めた 心臓の重さは 何に拠っているのだろう 閉じた窓に 月がよぎる その陰影に 数多の 横顔を想う 薄皮を 焦れて剥ぎ 血を滲ませて あしたが来る それまで 瓶底に頭を埋め 十月の眠りを 味わいつくそう

昔のひかり

巻きつけた 憂さをはずしながら 新聞を広げ 着信音にも 気を取られる ナスとイカのミックス 量は二百グラム 辛さは普通 ツナサラダと アイスカフェオーレ 文化欄の写真が こちらを見ていた あなたを 知るはずはないのに そのまなざしに スプーンを置く 何も…

かつては誰もが織っていた

下鴨の古本市の帰り、ガケ書房の古本棚から徳廣睦子『手織りの着物』(1986筑摩書房)を手にいれた。『星を撒いた街』の作者が、家族からどう語られているのか興味があったからだ。 上林と妻、両親の姿が、身内贔屓ではない愛情をこめながらも、独特の距離か…

海浜

雲 縦横に光が 透けている 水飲み場に 手を置いて 熱を味わう 足裏をへこませ 可笑しさに、ほどけて うつむく ソーダ飴のような 匂いが湧き立ち 形も見えなくなれば 錆びた門の 錠を探そう

なぜなんだオートバイ

中学時代、浮谷東次郎に出会って、その後、片岡義男『幸せは白いTシャツ』(角川書店)を読み、この憧れを抱えて大人になれば、バイクに乗って日本一周くらいする日が来るのだろうと予想していたというのに、あれあれ…バイクは原付にも乗らず免許も取りに行…