子どもが鈴生りの
小さなアパートが
楽園だったことは
遠い遠い昔
昭和51年
あの河のそばで
暮らせないと
きっと親達は決断
したのだ
山奥に連れて
来られた姉弟の
肩身狭く生きた傷は
いくつになっても
癒えはしないけれど
若き日の
親の歳を私たちは
揃って越えた
さようならも言わず
タミちゃんとも
ウスイさんとも
離れたわけを
知らずにいたことを
何気ない
電話で知る
夢多き日を
忘れてしまわなければ
新しい土地で暮らせなかった
四本の腕に
三人もぶらさがれば
泣くわけにはいかなかっ
た
長く長く伸びた
父母のかげぼうし