お弁当箱と手紙


映画「めぐりあわせのお弁当」は、リテーシュ・バトラ監督が、インドで120年前から始められ、今に続くダッパーワーラー(お弁当配達人)のドキュメンタリーを作ろうとしたことが、製作のきっかけだったという。
主人公の一方が狭い台所にこもりきりの主婦イラで、自分に関心のなくなった夫を前に、行き場のない気持ちを抱えて、上の階のおばさん(声だけしか出てこないが)を話し相手に暮らしている。もう一方は、役所と家の往復で日々を費やしている妻を亡くした役人サージャン。早期退職を願い出たために、押しが強くて調子のいい後任が押しかけてきて、辟易している。
 単調な毎日を送っている二人に変化をもたらしたのは、絶対ミスが起きないシステムのダッパーワーラーによってである。個人弁当配達とは、パンフレットの説明によると、家族が出勤した後に弁当を作る人が、9時~10時半に弁当を集荷してもらい、その集荷された弁当は「ローカル電車の3路線を使ってデリバリーが行われるため、アルファベットと数字を組み合わせた゛アルファニューメリック“が使われています」という管理方法で誤配達は600万分の1らしいが、輸送中の扱いを見ると、ちゃちな弁当箱は間違いなく消し飛ぶことが予想される。インドの弁当箱が金属製の重ね式で、補強がしっかりしているというのは、120年のデリバリーシステムの産物なのだろうか。
 イラが夫の気持ちを繋ぎ止めるため、念入りに作った弁当が幾つもの人手を経て、なぜかサージャンの手元に配られた。
 昼の役所の食堂で、インゲンの味を確かめ、訝しむサージャン。他の器のカレーの香りを嗅いで、やがて我慢できなくなったようにインゲンのサブジを皿に出す。何も知らないサージャンは、仕出し弁当屋に「とてもうまかったよ」と感銘を伝えるが、その後も続く誤配達から、弁当にイラが手紙を忍ばせたことに
よって、誰が弁当を送り出しているのか知ることになる。
 監督はムンバイに生まれ、ロバート・レッドフォードの主宰するサンダンス・インスティテュートで学んだというから、独特の視点を持っている。地元では皆があたり前だと思っているようなことに好奇心を向けてフィールドワークし、映像に組み立てているのが面白い。
 夫の命が天井のファンに左右されていると信じて、発電機を買ってしまったというイラの上の階のおばさんに、えっと思ったり、舌先三寸で露命をつなぐサージャンの後任候補が、夕飯の準備を短縮するため、電車の中で野菜を刻む場面には笑わされたりもするが、映画全体に流れるイラ、サージャンの屈託は、観た大人の誰もが共有できることだろう。
 イラの父は肺癌で、母は介護に追われ、お金にも困っている。夫の浮気に悩むイラに「出会ってすぐは愛しあっていたけれど、今はご飯、薬、お風呂、ご飯、薬、お風呂の繰り返し」と譫言のように嘆き、娘は悩みを深くする。
 イラはサージャンに会おうと提案し、サージャンは浮き立つが、あるささいなことから、自らの老いを感じて待ち合わせのカフェでイラを眺めて帰ってきてしまう。
 次の日の空っぽの弁当箱がイラの怒りを表していたが、この弁当箱に託したサージャンの手紙が、含羞と、相手に対する深い思いやりに満ちていた。
 「最近は、みんな手紙をかかずメールばかりですから」と映画にも発言が出てきていたが、往復書簡の言葉が、何か自分の胸から響いてきたものではないか、とそんな気持ちにさせられる映画だった。
 映画を観た後、空腹になるのはご覚悟を。
2014.9.7