BENTOにかぶりつけ!

大抵の人が、学校時代の話が出ると、「牛乳のテトラパックを飲み終わると、男子が踏んづけて破裂させてたねー」だの「カレーライスがまた食べたい」など、郷愁と共に給食のことを語ったりする。
 そんな時、「興醒めではなかろうか」と危惧しながらも、実は仕事に就いて二十余年、未だにずっと給食生活なんだ、と言ってみると、どんな話でも「食」の話は盛り上がるものだ。今時の給食事情について「回鍋肉や八宝菜がヘビーローテーションなんだよ」などと語っていると、そのうち、弁当づくりの苦労話や、弁当や社食もないという人の昼食サバイバル術も聞くことになり、「毎日考えるのは大変だよねー」と相槌を打ちながら、自分が久しく弁当を作ってない、ということに気づかされた。
 毎日弁当を持っていったというと、高校時代の三年間だが、醤油のおかずの汁漏れに辟易したことや、冷凍食品のナゲットや卵焼きがおかずだったことをうっすら覚えているだけだ。
 それから四半世紀は経っているだろうが、今や、ヨーロッパでは日本の弁当箱が話題になって、大ヒット商品になり、「Bento」は世界に通じる名詞になったというが、こっちは弁当箱も所持していないときた。和食の国の人なのに。
 最近、小さい頃に家にあった主婦と生活社の『カラークッキング9 おべんとう』をまた手にすることができた。食べ物の本なのに黒を基調とした表紙で、ホイルに包まれたおにぎりと梅干しの写真がどーんと表紙に載っている斬新なデザインの本である。このシリーズは、辻静雄、志ノ島忠など、書き手としても力のある料理家の随筆がふんだんに収録されている。どれも再読したいものばかりだが、古書の人気が高く、全10巻を再び手にするのは、難しそうだ。
 この『おべんとう』では、写真家の田中光常の「氷のドームの中で」という、気温マイナス20度Cのノテト岬で、持っていった缶詰も凍るような気候の中で、チカという魚の干物をかじりながら、オジロワシの撮影に成功した話が記憶に鮮明だった。
 そして、坂本喜恵氏の「ドドと曲げわっぱ」という、随筆を見つけ、再読の喜びを味わった。
「おべんとうといえばまず頭に浮かぶのは、幼い日に見たふるさとの山の人たちのおべんとうです。それは秋田杉で作った曲げワッパと呼ばれる子供の頭ほどもある容器にはいったものです。」そう始まる文章には、かんじきを穿き、大きな荷を背負って雪深い場所に立つ炭焼きの人の写真が添えてある。
 坂本氏の実家は造り酒屋で、冬になると、山あいで炭焼きをする家の主、ドド達が炭と酒を交換するために訪れ、酒を貰うと、店の隅で弁当を広げた。
 「ごはん粒がつぶれるほど詰めこんだ曲げワッパは、ずっしりと重そうでした。塩ざけに丸のままの茄子漬、塩たらこに大きく切ったたくあん、はたはたの糠漬けに梅干しのでっかいの、体菜と呼ばれる青い菜の漬けもの、みがきにしんの味噌煮に菊の花のはいったしそ漬。ときにはみそ漬のみじん切りやごま、きなこのようなものがふりかけてあり、なんとも楽しそうでした」おいしそうだ。彩りといい、量の豊かさといい、なんと食欲が呼び起こされる弁当!
「わたしはドドたちが大きな口をあけて、茄子の頭をガブリとかじる瞬間が大好きでした。みんな手作りの素朴なおかずでしたが、なんとおいしそうに見えたことでしょう。」
 坂本氏は、少女の日に見たことをこのようにいきいきと描写し、その思い出が、小学生だった自分にも、生命力に溢れた人が、おいしく食べているのを眺める快さというものを教えてくれた。
 ただ、不惑を越えたというのに、はたから見れば、自分は大食いの部類らしい。最近も回転寿司に行って、瞬く間に結構な皿を積み上げ、人に驚かれたくらいである。人の食べるのを眺めて「食欲が湧くねぇ」と喜ぶには、あと三十年はかかりそうだ、と「いい話にしおって!嘘つき!」と身内に言われないように、ここに告白しておく。
2014.2.24