一皿が紡ぐ縁

     狐野扶実子『世界出張料理人』(角川書店)は、 駐在員の妻であった著者が料理を学び、 三ツ星レストランの副料理長を務めた後日譚が収められている。 縁に導かれるままに出張料理人に業種転換した筆者の五年間の挑戦 は、まさに孤軍奮闘という言葉がふさわしい。
  良い食材が見つかるとどうしても顧客のために使いたくなり、 前に仕入れたものを自宅用に自腹で払うなど、 ビジネスというには、 儲け度外視すぎる特殊なやりかただったようだが、 設定された場にふさわしいメニューを探し続ける熱意や、 食材への探求心、料理の芸術性が評判にならないわけがない。 家庭のお祝いから、ルーブル美術館のパーティー、 ナポレオンの眠るアンヴァリッドでの婚礼、政治対話のディナー、 優れた料理人のフィールドは広い。
 ただ、きちんと準備や手配をしても、何かしらトラブルは起こる。 大荷物があるのに訪問先のエレベーターの暗証番号が分からなくて 待ちぼうけ、 周囲の冷蔵庫がたて続けに壊れまくって食材への影響にはらはらし たり、イベントが盛り上がってせっかくの料理が食べ残されたり、 係留してある船の邸宅で船酔いになりながら料理を作った揚げ句、 猫に魚を取られるなど、 厨房に閉じ籠っていたら起こらないことばかりである。
   狐野氏の料理人としての原点は、 じじと呼んでいた戦死した祖父の弟が、 畑にできたものをつまみにしたり、 そば打ちを手伝ったりした時代にあると言い、「アルページュ」 でアラン・パッサールと働いたことは、 幼年期に回帰するような体験だったようだ。
 それだけの記述だったら、単なる料理人の成功譚に過ぎないが、 この本は違っている。出張料理人になってからの筆者は、 特にアテネモントリオールの頁に顕著だが、 様々な場でフィールドワークしながらメニューを考えることで、 料理家として独自の哲学を得ようとしている
途上にあるようだ。
 「切ない料理」は、 目と耳の不自由なゲストを迎えてのディナーについてのエピソード である。「リラックスして食べやすいように」 と筆者はもてなしをする依頼人と足のないワイングラスやカトラリ ー、盛りつけを工夫して備える。食事を楽しんだゲストは「 どの料理も、それぞれの食材の個性が引き出されていてよかった。 レストランでは食べたことのないセンセーショナルな料理でした」 と讃えながら「そして、あなたの料理は切ない」 と謎の言葉を残した。しばらくの後、 ゲストから著者に自伝が贈られ、ゲストが視力を失う前、 父親と過ごした海辺の記憶がディナーに出たオマール海老の一皿と 結びついて「切ない」という表現になったことが判明する。
 この体験から、著者は「料理の味や香りは、 食べる人の過去や思い出と深く結びついている」 という気づきを得た。
 自分が今、直面しているので印象に残った部分だが、 とかくハンディのある人には、 食事を提供する時などもその配慮すべき点ばかりに注意がいきがち だ。 カトラリーや食器が持ちやすいようにと気をつけたりすることは勿 論大事なことだが、よかれと思って、 食材をすりつぶしたりとろみをつけたりしているうちに、 美味しいとはほど遠いものを提供してしまうことに陥りかねないこ とに、このところジレンマを感じていた。
 「「料理は科学的なもの」と定義する料理人は多い。しかし、 それを超えて料理は、「人間的な部分を兼ね備えたもの」 であるということを、あらためて思うようになったのだった。」
 様々な経験を得ながらも、 現在の筆者は次のステージで仕事をしている。しかし、 同じ食に関わる職業でも、出張料理人とは、 料理人としての資質を一番問われる業種形態だったのではないだろ うか。クレームもトラブルも一身に引き受けて、 現世的な儲けより、依頼人の満足を自分のやりがいとする… そういう人こそ「料理は天職です」と言う資格があるのだろう。

                                                      2014.11.24