春は食欲、本2冊

様々な書評欄に、篠田直樹『シノダ課長のごはん絵日記』(ポプラ社)が一斉に取り上げられ、 話題になった頃、一度書店で手に取ったことがある。
 著者の仕事柄(旅行会社勤務)のためだろう、パラパラ見た前半がヨーロッパの食の記述がびっしり、その後が有名なそば屋の記述、続いて豪華な寿司の絵が満載だったため、「これは楽しめるだろうか」とその時は手が伸びなかった。
 最近になって、地元の新聞に著者が岐阜在住であるというコラムを見つけ、この豪華な絵日記に急速に親近感が湧いて、再び読んでみた。
著者が食日記を書き始めたのは、1990年の27歳の時の福岡転勤がきっかけで、「食生活が乱れないように」「地元ならではの食を楽しみたい」という思いから、大学ノートに食の記録をつけ始め、五十代に至る今日まで続けているという。
たくさんの記録から、岐阜の店を拾って読んでいく。著者の愛する「開化亭」や「胡蝶庵」は普段行くには高級すぎるんだよなぁと頁を捲っていくと、たぬきそばの「更級」や、ラーメンの丸デブの名前が出てきて、昼ごはんに行きたくなる。
「宝すし」という名前が頻繁に出て来る。「自分の働いた金で寿司屋に通うになったのは25歳のころである。『宝すし』という寿司屋に初めて行き、若造の懐具合でも十分に堪能できる店に出会えてたいそううれしかった。宝すしへは25年間で347回も通った。」と「宝すし」愛が語られている。
 岐阜市に引っ越してきたという、とある年の桃の節句に、著者は「宝ずし」で食したつくし玉子とじ、菜の花のすごもり、旬の貝類やさよりを彩りよく絵日記に残している。追記には「つくしのほろ苦さに春を感じる。ここで昔作ってもらった山菜の天ぷらの握りや巻物も懐かしい。この店はつくしをよく出してくる。実物だけでなく、つくしの季節になると陶器でできたつくしの置物がカウンターに飾られる。」
 いや、おいしそうである。こちらは、専らシノダ課長も立ち寄るチェーンの回転寿司愛用者だが、気軽に立ち寄れて、実家のようにくつろげる店の良さは分かる。
 長良橋の北詰めにあった焼き鳥屋では、春になるとおばさんが山に行き、採ってきたふきのとうやこしあぶらでふきみそや天ぷらをこしらえて出して
くれたものである。ホタルイカやあん肝の味もその店で覚えた。春が来ると、もうとうになくなった「若竹」のことを思い出す。
 日記は続かない性分なので、食べ物日記、外食日記、読書日記をつけているというシノダ課長のあとがきの言葉には驚いてしまったが、ハレの日ばかりでなく普段の暮らしをこよなく大事にしているという気持ちが『ごはん絵日記』には溢れていた。
 『シノダ課長のごはん絵日記』と隣あっていたので、興味があって購入した佐々木俊尚『家めしこそ、最高のごちそうである』(マガジンハウス)という本でも、読んでいくと「日常を大切にする」という言葉に目が止まった。
 新聞社の激務で寿命を縮めるほどのダメージを受け、今は「いまこの社会で起きていることの意味を捉えて、それを概念化して言語に変換し、読者に提示すること」という姿勢でのジャーナリストの仕事と家事と両立している著者。
「いまの時代は、とても不確実です。不確実で、流動的です。先のことは誰にもわからないし、予測できません。」という不確実であることしか真実ではない今の時代を生き抜いていくには、日常を「きちんと生活すること」が、これからのステイタスであり、自己表現なのだというのが本書の趣旨らしい。
 この本は、冒頭から『向田邦子の手料理』をうまく使って70年代の日常食を紹介しているが、他にも海老沢泰久の『美味礼賛』、田辺聖子『春情蛸の足』、檀一雄『檀流クッキング』、スタインベック「朝めし」など食の名作が顔を出す。第3章を読んで、「この論の立て直かた、玉村豊男の『メンズクッキング』に近いものがある」と思って読み返してみると、調理用具は単純でいいという文章に、玉村豊男『料理の四面体』が尊敬をもって紹介され、アルジェリアでの印象的なトマトシチューの場面が引用されていた。
 家庭の味が「ほんだし」だったという筆者の原体験。そこから美味しそうな手料理を写真つきで公開する現在に至るには、様々な食の体験と読み込んだ料理書がきっと「家メシ」の範疇を越えるくらいにあったと思われる。しかし、そこから美食探求に行かず、日常が一番大事だという結論が示されている所が面白い。その原点回帰が、今の時代に共感を呼ぶところなのだろう。
 食べた料理も読んだ料理書も、人となりを形成する人生の刻みのような役割がある…ああ、寿司が食べたくなった。
2014.3.17