春の病室

身辺に入院する人があり、暫く付き添いをしていた。
 必要なものを買い集め、検査も終わり、点滴が始まると、そこから時間が経つ速度が極端にゆっくりになる。
 食事時になると隣のベッドの人にミックスジュースのようなものが入った筒が用意される。胃ろう用の栄養剤のようだ。
 何も口にしていないのに、胃に栄養剤が送り込まれると、せわしい呼吸音で部屋が満たされる。
 こちらの病人には、全がゆ、八宝菜のミキサーにかけたもの、鳥ミンチを出汁で煮たものが出た。
入院直前はお粥も飲み込みづらそうに噎せていたが、病院に来てからは、食べて噎せることが格段に減った。ただ、食べるまでは、胸から音は出なかったのに、食べるとごろごろ痰が絡んで、隣のベッドと二重唱になる。
 『中勘助随筆集』(岩波文庫)の「妹の死」には中勘助が『銀の匙』を執筆中、余命いくばくもない妹を看病した日々が綴られている。
 夫と子どもを残していくことを、気がかりにしながらも、その妹は、兄勘助に甘えることで恐怖を紛らわせようとしていたのだろうか。
 苦しがる病人に氷を含ませたり、気を引き立てることを口にしながら、勘助は誰よりも長く妹の傍らにいた。
 「氷を割る」には、病を得、身体の自由がきかなくなったことを嘆く嫂に対して、兄が苦労をかけたからだと憤り、ひとかたならない愛惜の言葉を寄せている。
 その嫂にも氷を含ませたことが書いてあるが、弱っている人に無理に水を飲ませるとむせてしまうから氷を用意したのだろう。
 反りの合わない兄金一を長く介護した経験もあり、身内が倒れると、仕事そっちのけで傍らにいた中勘助。実は介護の腕もなかなかだったのではなかろうか。
病室で過ごす時間があったせいか、今までそこだけ読み飛ばしてきた作家の闘病記や、看護日記などが気になってきた。今なら、何か新鮮な気持ちで、そうした記録を読むことができそうな気がしている。
 そんな気持ちになったのは、老いや病、そして死に対してやっと自覚が芽生えてきた顕れかもしれない。
町の桜もすっかり散って、看ていた人は退院が決まった。まだむせるようだから食事も気を配って用意しなければ。
今日の膳を用意して、一匙一匙を見守って細やかに見てくれているのは、外国から来た介護職の人だった。笑顔に和んで、病室の人達も食がすすんでいるようだ。いや、見習いたいものである。

2014.4.12