太鼓腹の謀主と呼ばれた人

 梅雨にさしかかるこれからの季節は、気候のせいで身体がだるくなりがちだ。こんな時期は、ビタミンの補給に豚肉を食べるといいと聞いたことがある。しかし、今年はエルニーニョの影響で、冷夏という噂はどこへいったのやら、6月に入ってもう30度を越えている。もうこうなると、夕餉には素麺とか冷奴にありつきたいばかりで、肉を食べたいという気持ちは、ある程度元気がないと湧いてこないものである。
 『ゴンチャローフ日本渡航記』(講談社学術文庫)は、1853年に日本に通商を求めて来航したプチャーチンに秘書官として随行した作家、イワン・アレクサンドロヴィチ・ゴンチャローフの旅行記である。
 ゴンチャローフは、通商についての交渉に参謀のような立場で関わっていたようだが、この「日本渡航記」は、交渉事の詳細よりも、諷刺に満ちた人物観察が際立っている。
 ニコライ一世の国書に対して、分かりきったことを質問攻めにしたり、とかく作法やしきたりに時間をとられるスタイルの江戸の外交に辟易しながら、返事待ちの無為な日々にも、船の人乗組員や、ひっきりなしに訪れる通詞(通訳)達の行動をつぶさに書き留め、退屈の中からも様々なことを見いだして、作品にしている。
   「そら、あそこではチフメニョーフが猛烈な溜息をついている。彼は私たちをどう賄えばいいのか、日本人は食料を提供してくれるだろうか、きれいな水を運んでくれるだろうか、もしそうしてくれるとしたら、値段はいくらなのか等々がわからないのである。船の缶詰類には大抵の者が「そっぽを向く」と彼はいうのだ。」
   この後、イギリスで仕入れた缶詰について嘆きがある。「海上に出ると、やがて牛肉の味が仔牛肉の味に似てきて、仔牛肉は魚肉に、魚肉は兎肉に、こうしていっさいの味が似ても似つかぬふうに変わってしまう。」
 その一ヶ月後、食料不足が深刻になり、長崎奉行と交渉して生鮮食料品はオランダ人から買えることにはなったが、結局運送船を大陸に出すことになる。
  「日本人は牛を有益な使役畜として殺すことを禁じていて、常に食べるのは魚と鳥で、肉食はしないので、私たちが日本で食肉を入手することはできなかったからである」
 この時代の通詞達の奮闘を小説にした吉村昭の『海の祭礼』(文春文庫)にも、漂着した捕鯨船ラゴダ号の乗組員が、肉を食べたがって荒れたという記述が度々出てきたが、普段食べているものが食べられなくなるということについて、当時の世界中の人々は、パニックになりやすかったようだ。うーん、今でも似たようなものかもしれないが。
 ゴンチャローフは、この日本への紀行を含む『フリゲード艦パラーダ号』を出した翌年に、代表作『オブローモフ』(岩波新書)を著している。 
 解説によるとゴンチャローフは、美食家で彼に会った日本人は「大腹夷」という印象を持ったらしい。
 沼の恭子『ロシア文学の食卓』によれば『オブローモフは主人公が寝転んで過ごすことの他は食べることしか興味がないという性格づけのため、食事場面のかなり多い小説で、料理の描写も絶品だとのことだ。
 ゴンチャローフは、高齢になるまで官吏と作家の二足の草鞋を履いており、大抵の年譜に「一生独身を貫いた」となっているが、そんな格好いいものでもなかったとか。
 なぜか『日本渡航記』はどこにでもあったが、『オブローモフはどこの本屋にも置いていなかった。このゴンチャローフ熱が消えないうちに、早く手にいれて読みたいものである。

                                                            2014.6.1