食べることも愛することも耕すことから始まる

雑誌を見ていたら、以前よく出かけた雑貨屋の店主の消息が載っていた。意志的なまなざしが印象に残る女主人は、数年前、料理上手なパートナーと共に山間部に移住したという。記事は、結婚の良さを伝える趣旨のもので、前のめりな相思相愛が強調されていたが、移住当初、貯金がなくなって泣きだした彼女に、これからうまくいくよと夫はどこまでも楽天的だったというエピソードが、妙に印象に残った。
クリスティン・キンボール『食べることも 愛することも 耕すことから始まる』(河出書房新社)は、ハーバード卒のライターであったクリスティンが、農夫のマークと出会い、一年をかけてCSA形式(日本で生まれた地域支援型農業)の農場を開くまでをつづったドキュメンタリーのようなラブストーリーである。 
原題は『Dirty Life』。ここには、家畜を手に入れ、畑の整備を始めたころのクリスティンの感慨が反映されている。「仕事は汚れることばかりで、汚いという言葉を定義し直す必要があるくらい汚く、清潔を保つためには膨大なエネルギーが必要だった。汚い泥だけではなく、血、肥やし、乳、膿、自分の汗、家畜の汗、それに機械油、生き物の脂、内臓やありとあらゆる腐蝕物にまみれて日々過ごさねばならない。」
マークとクリスティンが始めた会員を募っての農産物の生産販売は「人間が生きていく上で必要な食料全般の生産」「エネルギーの完全自給」という高い理想をかかげており、そのために彼らの恋愛と結婚の日々は、馬を使って命がけの耕作に挑み、乳搾りに腕を腫らし、雑草との戦いにくたくたになるなど、蜜月には程遠い。読者のこちらまでがぐったりしてくるほどの重労働の連続だ。
働きに働いても、経費の清算をすれば資金は減るばかり。クリスティンも先に書いた雑貨屋の店主同様、お金の不安から涙を流す。「別に金持ちになれる保証を、といってるんじゃない。ただ生活できないのは困る。その心配は無用、と請け合ってほしいのだ」どうやらパートナーの無謀に対しては、国は違っても思うことは一緒のようである。マークがどう宥めたかは、ここには記さないが、自分の信念を通して周囲を嵐に巻き込む人物は、やはりどこでも、悲観論者は少ないとみえる。
つい、重労働の場面ばかり紹介してしまったが、この物語にもロマンスはあり、それは食の場面に現れる。開拓時代の物語などを読むと、男をつかまえるなら胃をつかめと年頃の娘が周囲に言われる場面がよく出てくるが、この物語では、マークが鹿のレバーソテーでクリスティンの胃をつかむ。他にも、旬のバターを使ったイラクサのスープ、鳩のローストなど興味深い料理を、マークは求愛の言葉の代わりにクリスティンに捧げている。
 ネットでクリスティンを観たところ、ジュリア・ロバーツ似だが,中村メイコのように淀みなく喋っていて驚いた。女傑である。現在、経営する農場は会員数222名、太陽電池パネルも導入し、事業は順調に伸びているようだ。
クリスティンは、農場育ちの人と知り合うと、どんなふうに育てられたか聞かずにはいられないという。「答えは二手に分かれ、輝くばかりの理想的な子ども時代だったか、とにかくたいへんでつまらなかったかのどちらかで、あいだがない」ということだが、自分のことでいえば、家が兼業農家で、休日は田畑での仕事が果てしなく続き、怒られてばかりだったので、あまり農作業に良い印象はない。「お金がなくても精神的に豊かでいられる」農場の生活をクリスティンは娘のジェーンが気に入ってくれるように望んでいるが、親の意見を振り切って生きてきた彼女がそんなふうに思うようになるとは面白い。娘さんが大人になるのはまだ少し先のこと。その未来へと、マークとクリスティンの心血を注いだ農場がどうなっていくのか、続編もぜひ読みたいところだ。
2012.11.4