海辺を歩いて

長い時を経ても心に残る文章がある。子どもの頃、古い『暮らしの手帖』が家にあり、読みやすかったからか「すばらしき日曜日」という一般向けの投稿欄を拾って読んだものだった。様々な人の休日の力の抜けた生活ぶりが、何ともほっとさせる内容だったと思うが、はっきり思い出せるのはひとつだけ。
 ―新しい家を建てて家具は今までのを使っているが、何かそぐわない。だけどローンがずっと続くからお金がない。余裕なく、くさくさした時はおにぎりを持って、そばの海へ行って家族で思いきり大声を出して遊ぶ。海はタダ、タダだから…―
うろ覚えなので細かいところはきっと違っているだろう。他にもいい話はたくさんあったろうし、別に書いてあることがよく分かるという年頃に読んだわけでもないのに、記憶の仕組みはおかしなものだ。山奥に住んでいたから、海へ日常的に行けるというのが印象深かったのだろうか。
今も海のない所にいるので、海をまったく見ない年もあるけれど、昨年は、8月に北陸の海を眺めたのを皮切りに、和歌山、伊豆、丹後など様々な海を眺める機会があった。 紀州の山の中にあるという本屋さん、イハラハートショップにたどり着けず、仕方なく立ち寄った和歌山の煙樹ヶ浜の印象については、ここに書きかけで終わっていた。その後の伊豆の旅は「石垣りん文学記念室」を訪れ、偶然お墓にお参りしたことを記したが、その旅の後、『現代詩手帖特集版 石垣りん【自作朗読CD付】』(思潮社)を求めて読んでいた。斜め読みをしていたので、最近「詩集未収録詩篇『やさしい言葉』以後」にこんな詩を見つけて不思議な気持ちになった。

海辺


もう十何年
それ以上も前のことかも
知れない。
新聞に風土記のような形
で連載されていた。
その一回分の末尾に小さ
く出ていた
紀伊半島の太平洋に面し
た村の話である。


ひとりの老人が浜辺で
焚き火をしていた。
記者が尋ねると
少年の日アメリカの
移民船に乗って神戸港
発ったという。


やがて船がこの村の沖合
を通過するころ
親類の者が別れの合図に
火を焚いてくれたと
いう。
船の上からその火は確か
に見えたという。
以来大陸で働き
年老いてふるさとの村に
帰って来た。
(いのちも海もすっかり
凪いでいたのだろう)
浜に出て老人は今日も火
を焚いているのだと
いう。


その切り抜きを失くして
しまった。
ふたたび手にしたいと
思って心当たりの新聞社
に問合わせた。
中央図書館へも行って
古い新聞を繰ってみた
それでも見付からない


けれど私の中で焚火は
燃え続ける。
前面に海がひろがり
遠くから少年が
こちらを見ている。
(初出「花神」一号・一九八七年五月)


煙樹ヶ浜の近くには、アメリカ村という地域があるようだったから、きっとこの詩の老人の話は御坊に近い所のことだろう。伊豆の旅と紀州の旅が海の詩で繋がれるとは思いがけないことだった。


そんなことを書いていたら、『港町から』(株式会社 街から舎)という10月に発行された雑誌を岐阜の本屋で手にした。「特集 紀州・日高 三尾・アメリカ村発 移民と文化融合を考える 西浜久計vs奥川櫻豊彦 道成寺を彩る伝説の女性たち 小野俊成(道成寺院代)」読んでみよう。