田舎の長女

 「最近は母のほうが身体がつらいみたいでね、でも、おばあさんを自分でみるっていって無理しとるもんで、おばあさんのぼけにいちいちイライラするんやわ、またおばあさんが、実の娘を「おばあさん、おばあさん」呼んで、おやつを出すと、「わしはいいで、おばあさん食べとくんなれ、食べとくんなれ」ってしつこくて、「もういいで食べなれ!」って母が怒るんよ」「何でおばあさん言うのかね」「髪が白いでやろ」「自分のことは見えんしなー、しかしおばあさんって、あはははは」
 高校からの友人Yとはかつて、好奇心から一般参賀に行って独身最後の紀宮を眺めたり、ある年は大仏を観に行き、奈良ホテルでシャンペン飲んで酔っ払ったり、それなりに賑やかな正月を過ごしていたが、一昨年祖母が逝くまでは、私のほうが休みだけだが、徘徊の見守りや食事の介助に八年ほどかかり、これからまた一緒に旅にいけるかなと思っていたら、今度はYが、家族の介護や知人の老人の世話に忙しくなってしまった。
 それで今回は地味に喫茶店で喋るという年越しとなったが、普通、独身の女が介護の話をしていると「何で私だけが」と暗い愚痴になりそうなものだが、彼女の話は、おばあさんの老いとがっちり向き合いながら、綺麗ごとにならずに、面白い。今年、彼女は猫と犬を見送ったそうで、その最後の話も聞く。「サクラもマルもうにゃうにゃうにゃとなーんか朝から言っとると思って、水飲ませたらひゅうひゅう言って暫くたったらくったりしたんだよ」「ああ、人間の臨終と同じだね下顎呼吸か」「そうそう、あれが末期の水ってやつだよ」歴代大事に飼ってきた猫も犬も、彼女が道で拾った鹿も裏山に埋まっているらしい。「届けてある犬は最近勝手に埋めたらいかんみたいだけどね」「あー、私が先に死んだら埋めてもらいたいよ、それまでには持ち上がるように痩せとくわ」

 魑魅魍魎の住む田舎は、地元に生まれ育っていても、核家族出身の現代人には住むだけで神経にこたえるから新しい人など来ず、天空の村には福祉サービスもそうそう峠を越えてこない。彼女の場合は十代から「結婚はしない、親をみる」と言っていたから特殊かもしれないが、率先してでも嫌々でも、田舎の長女が家族を支えているケースが最近は多いのだろう。彼女は別に福祉の人でも何でもないが、年末、昔世話になった人を見舞いに行き、動けなくなって食事や排泄もままならず、死にそうになっていたその人を民生委員やケアワーカーを呼んで救出したらしい。
 世話焼きもマザーテレサ級になってきた彼女の悩みは、婚活女や四十女子などという世間のせいで、人に親切にすると「何か目当てが」「気があるのでは」とすぐに勘ぐられてしまうのが嫌だという。日本人形のような彼女だから、周りがほっとかないのだろうが・・せめて、趣味の世話焼きぐらい、自由にさせてあげてもらいたいものである。「ほんと、おばあちゃんじゃないけど、自分の顔と中身を見て言ってもらいたいね、自惚れんな。しかし・・初めて聞いたけど、顔がGaktで中身が西田敏行が理想・・そらおらん・・」「おろ、そうかな」