なぜに、Twitter!(1)

 前回の記事を載せたあとに、ほどほどに…と金沢方面から何か聞こえた気がするが岐阜と石川の間は、白山が邪魔して聞こえません(笑)
龜鳴屋さんの書庫は1980年代の詩集がずらりと並んで、かなりな低温の中だったが、見るもの見るもの懐かしく、珍しく、何より詩の話ができるということが楽しかった。高橋睦郎の似顔絵入り表紙の詩集、仙波龍英の短歌集、井坂洋子さんの処女作には著者近影が挟まれ、勝井氏が「こういう都会のお姉さんに弱いんですよ」と言っていた気がする。ミステリーもずらりと並び、それは図書館の様相の書庫だった。
手書き入稿したものを、端正に打ち出していただいた原稿を三回見て、内容の重なっている一篇を差し替えることを確認し、雪がようやく止んだ金沢を後にした。
発行部数が214部と聞き、無名の詩人に対する龜鳴屋さんの身に余る親切を感じながらも、龜鳴屋さんも一人出版に近く、特装本の文化を大事に守るために、奥様も一般のお仕事をされている。「甘えてはいけない」と帰りの列車の中で強く思った。
しかし、買い取ろうにも私にはお金が本当にない。係累も今は相続問題でそれどこではなく、職場に宣伝することでもない。どうしたらいい、どうすればいいのか。
 これが、自費出版でだした詩集だったら、私は作っただけで満足して、その後のことなど全く考えはしなかったと思う。25年前に書いた詩が海の砂のように沈んでいたのが、ある日人の口の端にのぼって息を吹き返す、そういう作品のあり方もいいと思っている。
しかし一方で私は福祉施設で毎日毎日僅かな手間賃しか入らないながら内職仕事をして、バザーでものを売るなどしている。人の働く姿を見ながら、詩人は販売のことなど考えず、仕組みに任せるという考え方はできないのだ。全部売れても制作費を満たすかどうかいう本を、売れなくても知らないというわけにはいかない。

その時までにTwitterをブログ上では知っていたが、何かあまりにも刹那的なコミュニケーションが馴染めないような気がして手を出さずにいた。Twitterを始めたのは偶然で、どこかのブログに添付があった入会リンクに入っていっただけのことだった。当初は訳がわからず、フォローもせずに、ポストも書いては消していた。
 今年1月1日に、私は詩集を二冊買っていた。一冊は文月悠光さんの詩集、そしてもう一冊が久谷雉さんの詩集だった。そして偶然久谷さんが、最初のフォロワーになってくれたことがきっかけで、私のTwitter世界は少しずつ広がっていったのだった。

金子彰子(かねこしょうこ)詩集『二月十四日』龜鳴屋(かめなくや)刊の書影は下からご覧になれます。
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/