「原稿を送る」の頃

「2月14日に発売となると、11月中に原稿をいただければ」と勝井氏に聞き、京都から帰ったその日から、手製の詩集と、ブログの束を取りだして自選を始めた。
 手製本は原稿をほうぼうにある私の茶室(ネットカフェ笑)でPCを使って書いたが、11月は、ネットカフェに行くには時間に追われ、だからといってPCも買えない懐具合。そこで、どこでも書ける苦肉の策として原稿用紙と、かつて中学の時に愛用していたピグマのペンと同じ型のものを用意して、手書き入稿をすることにした。勝井氏から、それで構わないと返事があり、データを渡すのが常識である平成の世でよく許していただけたものだ。ありがたかった。
 ブックオフの隣のマックで、コーヒー一杯を前に、改稿に毎晩ねばった。自分で詩を数えていなかったが、数は充分にあると勝井氏が言った通りで、あれもこれも入れたくなる。それでは一編一編が引き立たないので、選んでは捨て、拾っては迷い、なんとか39編にして、祈るような気持ちで清書に向かった。その後、原稿に板表紙をつけて持ち歩き、並びを入れ換えて眺め。ある日、この並びしか成立し得ないと確信して目次を作った。普段の自分は極めて判断が曖昧だが、この時は別の力を得たかのように39編のタイトルを書き連ねた。そして、普通はこの段階ではつけないのかも知れないが、束の間しか会っていない勝井氏に作品意図が伝わるようにあとがきもつけて、400字詰めで73枚の原稿を11月21日に送ったのだった。その時の心境はこの日記にも記した。一覧から「原稿を送る」で検索いただくと、出てくるはずだ。

金子彰子(かねこしょうこ)詩集『二月十四日』龜鳴屋(かめなくや)刊は、こちらからご覧になれます。
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/