龜鳴屋・勝井氏との出会い

 善行堂フルオープン前日の10月31日は、白い陽射しの照り返しが鋭い、夏の日和めいていた。
 銀閣寺口善行堂へは名神の京都東インターからずっと疎水沿いを北に行けば20分くらいで行くことができるのだが、その日は、道をよく調べないまま、京都南インターから行ったものだからなかなか着かず、一緒に行った友人は、さぞや京都は広いと思ったことだろう。善行堂には2時に着くことにしていたので時間に余裕がある気持ちだったけれど、知恩寺古書市は駆け足で見ることになり、それでも昼を食べ損ねまいと新進堂でカレーを食べていると、奥の予約席になんと善行さん御一行が!「知ってたの?」と会うなり善行さんは、おっしゃっていたが、そこまで私に予知能力はないです。高橋さん、Mさん、decoさんは「古本ソムリエの日記」でお名前をよく拝見していたので、善行堂に先に行かれる皆さんを見送りながら、何か物語に遭遇したような気分だった。
 2時近くに善行堂へ。詩集にサインを入れるように勧められ、Mさんに貸していただいたサインペンで、「善光堂お参り記念」とすぐに間違え、失礼にあわてふためいて仕舞おうとしたが、善行さんは、面白いから記念に取って置くとおっしゃっていた。これは古本者ゆえなのだろうか。(先々月は、まだ手元にあるとお話されていた)
オープン前ながらこの日は大変な盛況で、一旦、近くの焼き菓子のある喫茶店で休憩、そうしていたら、龜鳴屋の勝井氏と高祖保『念ふ鳥』の著書がある外村彰氏が、お待ちだとの知らせが入った。勝井氏は昨日から京都に来られておられ、なんと『二月十四日』を詩集にしないかと、お話になるために出てきて下さったのだった。
勝井氏と外村氏が漫談の勢いで伊藤茂次の話を善行さんと語るそばで「伊藤茂次ってご存命ですか?」などととんちんかんなことを言っては、暑気当たり気味の頭でぼうっとしていたように思うが、よく出版の話が、まとまったものだと思う。勝井氏は井坂洋子さんの熱烈なるファンで、1985年に出た『ことばはホウキ星』で私の詩をご覧になり、岡崎さんや善行さんのブログを見て、驚いて駆けつけてきて下さったそうだが、「給料日までまだ10日以上あるのに所持金数千円」などと書く詩人によくコンタクトをお取りになったものだ。そして、この誰も知らない、全く無名詩人の詩集を一切お金を取らずに出して下さった。龜鳴屋さんは出版で儲かってしかたがないというようなお仕事をしているわけではない。真摯な特装本製作を、奥様が支えて今日まで続けておられるのだ。
 お金的にはまったく儲からない、いや儲からないどころか損になると分かっているのに、全力の仕事をこの時代に見せていただいたことに、私は深い畏敬を覚える。

 私の詩集の出版で苦労をおかけして勝井氏が、この長い冬の間に年を取ってしまわれはしなかったか心配だ(笑)
詩に向けていただいた形ある励ましを、私は生涯忘れまいと思う。死ぬ時、もし手元にこの『二月十四日』があったら、棺に入れてもらい鰯のように焼かれよう。焼き方が足りんのは困るけれど。

金子彰子(かねこしょうこ)詩集『二月十四日』龜鳴屋(かめなくや)HPよりご覧いただけます。高祖保『念ふ鳥』、伊藤茂次『ないしょ』など魅力的な書籍の紹介もあります。
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/