一昨晩は「外事警察」(NHK)の再放送がやっていたらしい。初校に訪れた金沢、龜鳴屋・勝井氏のお宅のリビングルームで、この番組の最終回を観た。勝井氏と奥様の解説を聞きながら眺めた、渡部篤郎の不敵な表情が、暗い画面と共に忘れられない。


4月に詩を書き始め、まず一作目「五輪の日」が書け、そして「マルク」を婦人公論に投稿するなど、ここから作品を書きついでいけるかのように見えたが、勤務先も春は忙しいのに加えて、寝たきりだったとはいえ祖母が急に死去し、いつ詩を書く時間を取っていたか、順調とはいえないすべり出しだった。
 そして、下鴨の古本祭りが到来。三月のスムーストークで宣言されていたとはいえ、もう七月には善行堂がプレオープンしたと聞いて、この目で見ようと、古本祭りにことよせて立ち寄らせていただいた。私は、初対面の人には無口なほうなので、最初、山本善行さんには、「書き始めると、いろんな人が寄ってくるから大丈夫かね」とそこらへんを心配されていた。そして「最近ブログの更新が少ないけど仕事が忙しそうで大変だね」とのご指摘もあった。(今となっては、変人呼ばわりされる立場となり、これは、真面目な勤め人としては、甚だ心外であるのだが、我が意を得たり!と同意される方もまあ、おられる)この時、善行さんはひとつ提案をされた。11月1日に善行堂がオープンするから、金子さんも作品をまとめてみなさいよとのことで、先生は厳しいのだ。
 かつてはなぜか二台もPCを持っていた新しもの好きの私も、今や携帯しか持っていない。このブログの更新も携帯で行っているため、まずは途方にくれたまま、ネットカフェで自分のブログを印刷してみた。気が遠くなるほど紙が出てきて余計に困ってしまったが、9月は祝日になるとネットカフェに籠りまずは原稿をあてもなく打ちだしたのだった。
そして10月になり、第一回高遠ブックフェスティバルに出かけた私は、たくさんのミニコミやフリーペーパーを目にし、印刷所に頼まなくても発行物は作れるという可能性におそまきながら気がついた。原稿を冊子の形になるように打ち直し、アレグリア級(by津村記久子の小説)に何度も待機する近所の書店のコピー機をなだめすかし、製本テープや紙を揃えて奮闘すること数日、10月18日―自分の40回目の誕生日―に、私家版『二月十四日』が完成したのであった。
今日は早出で時間切れ。以下の続きはまた明日にでも。

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