マルク


あの時に
涙は涸れたらしい


古本有時文庫の裏は
もう駐車場だ
おまえがおりられなくなった柿の木は残ってるけど


スポイトでミルクを与えた日々
お前はメロンが好きだったっけ
牛のような模様だったが
瓦にねころべば
しなやかで
いいおんなだったよ


一緒の布団で
寝たのは一年もない
パルポで三日の命だった


あの時に涙は涸れてしまったらしい
足音を聞きつけてお前が迎えてくれるような


 マルクは一緒に住んでいた友人が拾ってきた生まれて間もない猫だった。大学4年になるその時まで、あまり猫とかかわりがなかった私だが、友人が教育実習で郷里に帰った時、しかたなしにミルクをやったり便を拭いたりしているうち、この麿のような模様を持つ幼猫に愛着を持つようになった。
下宿近くの古本屋は「あんかるわ」の詩人岡田啓さんが経営するお店だったのだが、その時は知る由もない。(知ったのは最近で街の草さんが教えてくれた) もうその時の私は詩を書かなくなっていたと思うけれど、山のほうにある大学から帰って、スーパーに寄り、隣の有時文庫でその時興味を持っていた昭和40年代頃の料理本だの、作家の随筆だのを抱えて帰ると、その音を聞きつけて「くるるるる」とマルクがどこからともなくいそいそ現れ、足元にからまりつく。一緒に家に入ると缶詰を開けてやるまで鳴いていた。
私は二階に住んでいて、ある時までは寝る時間になると襖を閉めて、マルクは箱に丸くなり、別々に寝ることを守っていたが、今から思うと生まれつきのパルポのせいで苦しかったせいだろうか、何だか夜になると寂しがるようになり、ずっと鳴いている。こちらも秋冬は卒論で夜も昼もない有り様になり、そのうち布団で仲良く眠るようになった。
卒業が近づき、私は土岐市に仕事が決まり、友人は泊まり勤務のある仕事に就き、マルクをどうしようかとちらと考えることがたまにあった。そんな平成4年の3月、卒業式が終わって間もなくだった。バイトから帰ると、友人はマルクを連れて動物病院に行ったという。そこまでと思わずに診てもらったのに、パルポのことを告げられ、手遅れと言われたと聞き、茫然。 マルクは人間に育てられたから、人間の前で苦しんで死んでいった。その声は今でも忘れられない。マルクを抱く友人から離れて仮眠をとっていた時にマルクは逝き、明け方、私たちは長良川のほとりで、誰をもはばからず、号泣しながらマルクを葬った。もう18年も経つが思い出せば鮮やかに今でも失った痛みが甦ってくる。マルクは時々、その小さな頭をかしげ、諦めたような眼でこちらを見やることがあった。なぜ一緒に暮らせないとあの時、少しでも考えたのだろう。そのことは一生後悔して生きていく。未だ生きる者として。


金子彰子詩集 『二月十四日』言葉 井坂洋子*装丁 金田理恵)刊行中。龜鳴屋(カメナクヤ)ホームページにてご案内を載せております。
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/

手にとってご覧になりたい方は、京都銀閣寺口 善行堂さん東京西荻 音羽館さんに見本を置いていただいています。どちらのお店も古書に包まれた文学を身近に感じられて、本の姿が大変すてきなお店です。是非お立ち寄り下さい。