読み解き「般若心経」

伊藤比呂美さんの新刊は、かつて「詩の中で、殺しもした」長じては尼僧に関心を持つ「カノコ」と対話するなかで般若心経を思いもつかない、しかし今に生きる人が読んでしっくりする形で説き下ろしている。
最近、水無田気流さんの無頼についての新書や、小池昌代さんの近刊を読み、形にならない思いがもやもやしていたが…伊藤さんのこの本の「女がひとり、海千山千になるまで」の章にある「貪瞋癡」は本当のことだけに、もやもやではなく圧倒される。
伊藤比呂美さんのエッセイは、日常を近く近く綴ったものなのに、私にとっては長らくファンタジーだった。婚もなく、子育てもなく、海外に住まず、草木も育ててないからか。しかしこの本には、常人は経験しないような超遠距離介護とみっしりと詰まった死の記録が畳みかけるように綴られ、茫然とはなるが、「これは日常を装った理想郷なんだ」といういつもの読後の囁きは聞こえてこない。 そうだお経は空から降ってきて人を抹香の匂いで迷わせるためのものだけじゃないよ。人か生きて筆先を舌で濡らしては書きつけた跡なんだから、味わうことができるんだと目を開かれた思い。
 伊藤さんは英訳、古典訳に対しても独自の手法で対峙されてきたが、読み解くにふさわしい時期に到達されてのこの解きおろしは凄い。心に無頼を飼っている人はすべからく読むといいと思う。惹句が介護の本みたいだから、おばさんしか手に取らなさそうなのが残念だが。
「カノコ」さんは福祉施設で支援の仕事をされているとか。人の認知のパズルを読み取る日々から、般若心経の「ごーおん」なる境地を母である比呂美さんに語る場面がある…創作かもしれないが、ここはなまじな坊さんに解かれるより心が頷いた。
蛇足ながら、最近「朝日新聞出版」の本を知らず知らず買っているが何でだろう。私の金欠のもと、編集者の矢坂美紀子さんも気になる方だ…

伊藤比呂美
『読み解き「般若心経」』朝日出版
「死にゆく母、残される父の孤独、看とる娘の苦悩。苦しみにみちた生活から向かい合う日々のお経。」
「般若心経、白骨、観音経、法句経、地蔵和讃―詩人の技を尽くして画期的な現代語に訳していく。」
「心に切り刻むように思い出し、悔いてあやまりたい。寝たきりの母になって、はじめてすくわれた。夫をなくした友人の悲しみを思って、耳を澄ます。気がついたらまわりは、老いて病んで苦しんで死んでいく人でいっぱい」