はっぴいえんどで卒論かぁ

歴ドル美甘子という方がラジオに出ていた。 修学旅行で、ジャニーズショップに行きたい同級生から離れて、歴史好きな友達と「プチ脱藩」して龍馬のお墓に行ったとか。こちらと年はかなり離れているのだが、おかげで高校の時の修学旅行を思い出した。今から思うと、小学生の時に行ったのに、高校の修学旅行がまた京都・奈良なんてどうかと思うが、これ出かけるまでにグループでテーマを立てて、趣旨や経路を暗記してプレゼンみたいなものにパスしないと行かれない建前だった。
 私のいた班の趣向は新撰組の遺跡巡り。たぶん和田慎二の漫画「あさぎ色の伝説」(白泉社)が仲間うちで流行っていたから決めたのだと思うが、今から思えばにわか歴女で史実が多くて暗記に苦心した。壬生寺はもとより寺田屋東福寺池田屋がゴールだったが、昭和60年頃の池田屋は単なるビルだった。寺田屋で脇息というものを初めて使ってみて、こりゃ楽なのに、今は誰も使わないなと思ったのを覚えている。都会をさんざん歩き回って、よっぽど疲れたせいだろう。 なぜか松方弘樹がガマになるしょぼい特殊撮影の時代物を見てゲラゲラ笑ったことも印象に残っている。
この時買って帰ったベタなグッズ、「誠」と書いた絵馬を『鳩よ!』の巻頭の「詩人のこのモノ」というコーナーにエッセイと共に出したのだが、この号はまだ手元にない。何を書いたろうか。過日、街の草さんで「鳩よ!」を買わせていただいた時に、モロゾフの愛の詩の広告やら『言葉はホウキ星』の予告は載っているのに自分の詩が載ったものがちょうどなくて、自称の人のようで恥ずかしかった。もうひとつ探しているのは友部正人さんの『空から神話が降る夜は』の書評を書いた号である。新刊を三つくらいいただいて、なぜそれを選んだのか憶えていないが、何も知らないで、何を書いたか興味がある。さきほど書いた美甘子さんは卒論が「はっぴぃえんど」だそうである。この大三島産の歴女は文学部に進学し、印刷会社で挫折、ダイノジの助言で歴ドルになったとか。そうか…はっぴぃえんども文学史になったんだなぁ。