親の心分からずの記

久しぶりに両親が岐阜市に顔をみせた。富有柿の産地で生まれた母は、このシーズンになると、いてもたってもおられず、柿を箱買いにやって来る。「買ったって人にやってしまうだけだ」と父は渋い顔。 この間出かけた時も、道ばたで買った柿を食べ過ぎて、母は大半、車で寝ていた。その連想から苦い気持ちになるのだろう。柿は、形を変えた郷愁なんだよと母の気持ちを伝えるべく父に言ってやっていたのに、谷汲までの道のり、何でそんな諍いになったか分からないままに、母と口喧嘩大会が勃発!前に会った時は、詩なんか生活と両立しないからやめろと言い、祭りや田圃が忙しいのに何やってるんだと全く興味も無さそうだったというのに、今日はのっけから詩集を見たいと言い出した。 見せたいが手元には一冊もないよと言うと、何だかもうげんなりするほど怒ってまくしたてている。父も「お前だって今日の柿も人にやってしまうのに何を言う!」と参戦して、一家でヒートアップしていたら何か焦げくさい。柿の売店で見てみたらなんとサイドブレーキを引いたまま走っていたので、後輪から煙が!水をかけてごまかしたが、驚いたー!肝が焼けた臭いかと思った。実は詩集は父に渡してあるのだが「索漠とした家に生まれ」なぞと書いたものを、この実際家の妻に見せた日にはとんだ目に会うと自主規制したらしい。賢明な選択だが、何か間違ってる気もする。柿の購入で母の気持ちもおさまったところを見はからって「詩集が不和の種なんて今の時代珍しいんじゃないの?うちは大正時代だね」と捨て台詞を吐いてみるが、何にも聞いていやしない。次は、人に配るケーキを焼くために、問屋でレモンピールを仕入れたいらしい。これは家族の口に入ったことのない幻のケーキで、12年前からせっせと焼いている。レシピは私が小4の頃に買った本を元にしたらしいが、今や目分量で、蓋の壊れたオーブンで焼いている。もう配り歩いた累計が何本か数えるだに恐ろしいしろものだが、それだけにおいしいと噂は聞いている。詩集の完成の暁には、焼いてくれるらしいから期待しないで待っていよう。