今日を迎えられた幸い

私の日常は、一見文学とは遠いところにある。29歳の時に、一生の仕事と思い定めて就職した福祉授産施設で支援員になって11年目になる。
今朝は紙のファイルの組立てとつくだに屋の箱折りの采配に精力を傾け、昼からはクラブの企画で封筒利用の照る照る坊主づくり、仕事が詰まってきて、業者さんを待たせながら必死に紙袋に取っ手をつけ、結束機を踏みこむ。

支援の仕事は奥が深く、私は畑違いなとこからやってきて、未だに格闘と葛藤の日々を過ごしている。10年の月日はレスラーのような頑丈さと、生きる上で、日々にこじれがくるのはあたり前だという諦観をくれた。実践レポートや施設の新聞に記事を書くほかは筆をもたなかった日々。岡崎武志さんが、「二月十四日」を見つけてくださらなかったら私は死ぬまで自分の詩と向きあわなかっただろう。


今日は、手製の詩集に対して岡崎さんが、言葉をかけて下さった。
「少し寂しい世界に、いつも明るいあきらめが支配している。人肌のことばづかいが、詩の向こうに、日々格闘する生活を想像させる。」
岡崎さんとは面識がほとんどない。だから経歴もご存知ないはずだ。それなのに私の心の鵠を打つこの矢のような言葉には驚かされた。


詩はかつて、人の眼がたどるところに必ずあったのではないだろうか。新聞に雑誌に、建物に道ばたに。
詩と縁遠くしているうちに、その主流が、記号がきらめいて、知性こそすべてという印象のものに変わってしまった。しかし、人をはねのけるエッジや饒舌がなくても、目を惹くエロティシズムがなくても、詩は人に読まれるはずじゃないだろうか。一番なのは、人に読まれ、かつ先端性があることだけれど。「人肌のことば」とは、私の目指す到達地点そのものの名前なのだろう。


以前『読むクスリ』(上前淳一郎・文春文庫)で、イギリスの地下鉄のホームに詩人達がお金を出し合って数々の詩をポスターにして掲示しているというコラムを目にした。殺伐とした空間を、居心地よいものにするための活動だったろうか。読んだ私は非詩人だったが、街に詩があるということに感銘を受けた。電車待ちで、いつも「○○クリニック」やら「○○歯科」の看板をみるたび好きな詩を思い浮かべる癖がついた。

今回三十編から半分採った基準は詩を書いていない自分なら何を読むかという視点だった。その割には、突拍子もない恋に振り回されたり、しなくてもいい旅をしたり、とんでもない賽を振ってありえない目を選んでつじつまを合わせて生きているような内容の詩集になったが。 この内容ならなるべくフリーという方向で作りたいと思っているが、部数はまだ勘定できないでいる。

ああ、しかし生きて詩を書き継げる日がくるなんて、幸せなことだ。ありがとうございました。