夏に逢った文人(一)

あれは平成三年の夏頃だったろうか、名古屋の芸創センターで何か近代文学の集まりがあった。 指導教官にお茶出しにかりだされて、それまで客にお茶なんか煎れたこともない学生が四苦八苦して茶を出した相手は、温顔で、上着が窮屈そうな紳士だった。
教官が「あれが永遠の美少年よ」と教えてくれたが、なんせネットもケータイも身近にない時代。物知らずな学生は、何の感慨を持たず、永遠の美少年さんに、ちんちんに(岐阜、名古屋弁でものすごく熱いという意)沸いたあっついお茶を出したのだった。
その人の名は春日井建。今年になって特集をあちこちで目にするようになり、こんな方と出会う機会があったのかと驚き、近年亡くなっていたことを今にして知る。(遅い)
ちなみにその文学の会には、当時の借家から数歩のところの古本屋のおじさんが来ていて、パネラーとして春日井さんの隣に座っていた。「え!なんでおじさんが」と驚いたが、これもそのまま・・二年間、毎日くらい本を買ってたのに、なんか語らずじまいだったなぁ。今年、不忍で買った岡崎武志さんの古書店紀行を読んでおじさん(岡田さん)が近現代文学研究家ということを知り、道理でその方面が充実してたと振り返る。今も営業しているが、昔より本が店を塞いで、肥った者では歩けない状態だ。
ちなみに鯨書房は移転してペットショップとは離れて小学校の並びの通りに。道向かいにあって醤油の香りぷんぷんだった山川醸造は、今アイスクリームにかける醤油やら醤油スイーツで繁盛している。
大学時代は、郵便配達と郵便局の向かいにあったダイエーの本屋でバイトして銭湯行って、古本屋行って焼き鳥の若竹で飲んだり、猫のマルクと遊んでいた。 今にして思えば、健康で文化的な最低限度の生活だったと思う。
マルクを猫パルポで失って、私は就職とともによそへ行き、再び戻った時には、借家は駐車場になり、ダイエーも閉店、若竹の大将は今年亡くなってしまった。
こうして、時の流れが目に鮮やかになってきたのは不惑が近いからだろうか。