まつり雑感

どこへ行くにも割と平服を通し、正月も神社より本屋に詣でる私は、昨今言われる「あがる」という感覚をできるだけ避けて生活しているような節がある。しかし、人生には矛盾がつきもので、就職してから三回職場が変わったが、どの職場にも半年がかりで準備するほどの祭りがある。どうしてこう、祭り好きな職場をチョイスしてしまうのか、何か前世でしでかしたのだろうかとひそかに嘆きつづけている。田舎も夏の間、三十夜踊り続けるハイな町なので、子どもの頃からの悩みなのかもしれないが。ちょうど今月26日には、小学校のグランドを借りきってのまつりがあり、もう準備のカウントダウンが聞こえる。去年までは祭りのために生きているような上司が八面六臂で活躍する傍らであたりさわりなくやっていたが、上司のまさかの結婚退職(失礼!)のとばっちりが、忘れた頃にやってきた。今や苦手な緻密な手配というものに日々振り回されている。経験豊富なギャラリーに尻を叩かれ、もう四十になるというのに、馴染めないことの前では、いつも気持ちは若輩者。楽しむとは程遠い境地だ。ところが、自己認識と客観的見地は全然一致していないらしい。今日も「ショウコさんはまつりが好きなんだよねぇ。去年も休憩なしで模擬店で商売してたし」などと、仰天発言を聞かされる始末。向いてないと周りが思ってくれてないのが問題だったのか。明日のミッションはガスの設置確認とポテトのフライヤーの手配。昨日の詩には、こんな日常の色が濃く出ている。決してイベント会社勤務でも移動販売業でもないので、あしからず。ああ、でも旅先のまつりに、なにごころなく参加するのはいいな。お好み棒やスイートポテトフライ片手に知らない道を歩いていきたい。