それは幻ではなく

『ボン書店の幻』(内堀弘 ちくま 文庫)をたびたび書店で手にとった記憶はあった。
しかし、鳥羽茂という出版人に関する、この新鮮な傷跡のような生涯をたどる労作を、なぜ読み通せずにいたのか。読了後、興奮醒めやらず人に電話したところ、手に取るどころか、どうも以前に買って持ち歩いていたらしいという。
自分の記憶のあまりの喪失に愕然とするが、きっと興味本位で買ったものの、水の江滝子の挿話が出てくるページあたりで『いつの時代にも自分の触覚とセンスのみを頼りに出版物を作る人はいるものだ』と内容を類推して終わらせてしまったのではなかろうか。
今回、縁あって金沢で亀鳴屋さんにお会いし、(愛書家垂涎の的の)書庫にて『ボン書店の幻』の最初の本を見せていただいた。そのおり、「いや読むなら文庫のほうを読むべきですよ、最初の本が出版されてからの展開にワクワクします」と何か、ミステリー少年に戻られたかのような口調で勧められ、早速宿に帰って拝借した本のページを繰ると、阿部金剛の版画を一枚一枚表紙に貼りこんだという安西冬衛の詩集の書影があった。阿部金剛は彫刻家、阿部鷲丸氏の父上で三宅艶子氏の夫君である。 三宅氏の随筆からうかがえた阿部氏の人となりを思いだし、大体の芸術家が、己の憧れをつきつめ、ディレッタントとして生きるうち、生活苦と病に浸食されてしまう、そんな時代だったなとここで時代背景がしっくりきて、やっと読み進められるようになった。しかし、鳥羽茂の残された仕事を思うと内堀弘さんがお書きになるまで、なぜ人物としての評伝があまり残らなかったのか不思議だ。作家がイメージを大事にするあまり、出版に関する実業部分やお金で世話になった話を避けた結果こうなったのか。私が女性であるからか、鳥羽より先に幼子を残して世を去った断髪の美しい人であったという妻の、その無惨さを思う。
文庫版のあとがき、鳥羽の没した大分の村に著者が訪問する場面は、それは文章で綴られているにもかかわらず、まるで音楽を聞き映像を見たかのような、切り取られて格別印象の残る場面である。遺児が語る父と植えた苗木の記憶、村人と著者の会話、そして鳥羽茂の残したほの明るくも寂しさこもる詩篇、そして今なお実る梨。

集めることが不可能に近い、この質と量の資料と、丹念な人物へのインタビューのみでも充分に価値のある一冊だが、作者が当地に足を運んだことで、鳥羽茂のその姿、足元に伸びる影まで想起できる血の通った物語となった。

22日には、神戸で「トークイベント とある二都物語 『山上の蜘蛛』あるいは『ボン書店の幻 モダニズム詩の光と影 季村敏夫×内堀弘」という催しが日の入りから行われるそうである。(問い合わせ旧グッゲンハイム事務局0782203924)
きっとそこには、更なる物語の続きがあるだろう。
平日のしばりがあって参加できないことが何とも残念だ。これを見た方は遠くとも参加をお勧めします。糧は伝聞推定だけでは授からないということは『ボン書店の幻』を読んだ方は、お分かりだと思う。鳥羽自身は、そこまで後世のことを思わなかっただろうが、残された書物がそれが幻にならず、今でも滅びないでいるのは、それが、命を賭した果実だったからだろう。