菜園と『ひなた弁当』

ブログは、はてなが初めてだと思っていたが、続かなかっただけで、三年前、一年だけグリーで日記を書いていた。不調の携帯をあれこれいじっていたら、塩漬けになったブックマークが残っていて、久しぶりにアクセスした。

日記が書かれた頃は七年働いた小規模作業所を閉じて、親施設に戻るという年。内容はすでに懐かしめだ。移転する前の施設には菜園があり、利用者の希望で、ささやかに野菜を作っていた。カリフラワーがあんなに大きな株になることや冬になってもピーマンや茄子が実ること、腕ほどになった巨大キュウリが激しくまずかったことなどおりおりに発見があり、今、日記を見て、一日一度菜園に行くことを自分がとても楽しみにしていたことに気づいた。

作業所が移転して、親施設に入る前に、一年、住宅街の古民家で過ごしたが、皆が畑を懐かしがるので、プランターでハミウリやマクワウリを作ろうとしてナメクジにやられ、それでもサツマイモを栽培してみたり、ミニトマトプランターごと部屋のちゃぶ台に載せて皆でスケッチしたりと栽培は続行していた。親施設に帰ってきてからは、そんな余裕もなく栽培からは離れてしまったが、未だに農業雑誌を読んでみたり、店に種が置いてあると手に取らずにはいられない。 昨晩、片づけをしていたら、埼玉県日高市の「たねの森」のカタログが種袋と共に部屋から発掘された。これは、以前にほびっと村の本屋さんで求めたもの。これもかなり前、BRUTUSの本屋特集で水野仁輔さんがすすめていた本屋さんで、(ナワプラサード?)ここで私は、この種などと共に無明舎出版の『雑草レシピ元気読本』(小崎順子)という本を買っている。

先週「ひなた弁当」(山本甲士 中央公論社)という本を求め、小説世界に既視感を覚えたのは、主人公が、弁当の材料のために釣りや採集する姿に、かつての自分を見たからかもしれない。弁当ではないが、東濃の学校に勤めていた頃は、スクールバスの運転手さんにすすめられ、空き地のキクイモを掘って恵那農業高校の味噌に漬けて販売し、作業班の活動代に充てたりしたものだった。

『ひなた弁当』で、話の展開のキーを握るのはドングリなのだが、日本人は五千年ドングリを食べ続け、米を食べる歴史のほうが浅いとか。食べるものがないからって悲観して死ななくていいという、読んだこちらにもありがたい?主人公の気づきが印象的だった。
今日胡蝶書坊さんの日記を見たら、台北では、ドングリは珍しいものなんだそうだ。ところ変われば植生も違うものなんだなぁ。