うろ覚え

モロゾフ愛の詩は二回応募している。確か二回目の応募は昭和62年頃で何等かになったはずだが、大学に入って家から出ていたため、「モロゾフから白いプリンがまた来たけど食べちゃったよ」という親の報告と共に記憶から消去していたが・・・いったいどんな詩を書いたのか。審査員に秋元康がいたような。うーん・・モロゾフに聞いたら分かるのだろうか。
題は『来歴』だったろうか・・本当に忘れてしまった!

益田ミリさんの著書を見ていて、「オリーブを見て企業コピーを投稿したらTシャツがどんどん来た」というのやラーメンのコピーで入賞したらラーメンがたくさん来てお母さんが配り歩いたというページで、あー!私もコピー書いてトレーナーもらったと懐かしくなっていたら、それもそのはず益田さんは私と生年が一緒なのだった。
なつかしついでに書けば一番初めに投稿が載ったのはスクリーンかロードショーで「フットルース」の映画評だった。選者が青島美幸さん。とんでもないのは山奥に住んでいたから映画を観に行くなんてできなくて、これは予告などを観て想像で書いた映画評だったと記憶している。ケビンベーコンを観るたびにすまない気持ちに。
石坂浩二の「天晴れカレーパン」という本をたまにブックオフで見かけるが、これは石坂浩二がやっていたトヨタが提供していたラジオ番組が発展して本になったものだ。巻末のリスナー名に私も名をつらねているが、アホな中学生だったので、秋にドングリを送ったら虫がわいて「わー(虫が)いっぱいいますよう」と番組中にあのシルクロードボイスで驚かれたっけなぁ。「四十か五十のおばあさんにぶつかって、町を二等分する川にカレーパンを落とした」という話を紹介されたことも覚えているが「四十、五十のおばあさん!」と石坂氏が驚愕していたが訂正しなかったが・・ああバカな中学生だった。「町を二等分する川」という表現を詩的だとほめられたが・・郡上八幡というところは、見たままがそういうところなのだ。
「でんでらりゅうば」の伝承の詩が投稿からこの番組で流行ったことがあり、昔は「なにそれ」と回りにはいまいちな反応だったけど、これが「にほんごであそぼう」で取り上げられたら「こんこられんけん」と巷の子ども達にも大人気。 やはりおもしろいものは時代を経ても口踊されるんだ!とこれは最近の発見。