五輪の日

船頭(おばあさん)の笑顔が
ハレーションをおこして手招きしているのに
水閣はぼんやりとしたみどりの中だ


藍印花布は驟雨に
垂れ下がる
しまわれもせず


この国の最高沸点の日


先途のない私たちは
燃料サーチャージを嘆きながら
跨橋をくぐり、塔を廻って、三叉を過ぎ越してしまった
船頭(おばあさん)が棹さすままに


硝子瓶の茶葉がそこここに
鷹揚にほどける時間
客に倦んだガイドはミュールをひきずって
ななめの暗がりに入っていく
花柄の工員達のショウが始まるのだ


どんな時間の糸が背中に刺さっているのか


あとは繭がゆであがるのをじっと
みているしかない


 25年ぶりの詩は、昨年の夏に訪れた烏鎮を題材に書きました。北京五輪は上海付近にいると「ほんとに今やってんの?」という感じで、空港には2010年の上海万博のマスコット海宝が飾られており、フーワを探すのに一苦労でした。
 この時は、毒ギョーザ事件や、5月頃から原油高が始まっていたので、そんな時に行く人は誰もいないくらいでした。ちょうど友人が自動車部品の工場で中国の研修生の女性達と一緒に仕事をしており、彼女達の故郷を見てみようということや、田舎の勤め人としては、お盆しか長く休めないから、祭事に気を使わない世界に逃避したかったというので行ったのでしょう。(実家にいると7時くらいから人がきたり、坊さんがきたり、甥、姪が郡上踊りに連れてけ(三十夜踊ってる)と言うしで疲労困憊)
 ところが烏鎮では「皿子」も「Dish」の発音もレストランで伝わらず「ニホンゴワカラナイヨ」と返されて恥をかき、水の値段は方々で違うので油断ならず、茅盾(文学者)を知ってるか、と見識を試されるしで、汗かきっぱなし。のほほんと旅をするわけにはいかなかったですね。
 烏鎮は昔は製糸や織物、醸造で栄えた街ですが、今は工場で働くってことがどんなことか街の人間が見に来るという場所になっていて、客が見てる時だけおばさんたちはいきいきと働いて、いなくなると倦怠感を漂わせていました。その5ヵ月後、友人はどんどん仕事がなくなる車業界に見切りをつけ、別の仕事を探すも、女性としての大変さを味わい、私の職場も今や少なからぬ影響を受け、どんどん人が入れ替わって、経験者が自分ひとりというような、何かの流れに押し流されるまま生きているばかりです。このような背景があって、まったりとした烏鎮の倦怠感とそれから先に起こるであろう不安を表現してみたのですが、難しい。雰囲気ばかりにならないようにカタカナを配したけれど、どうなんでしょうか、自信はない。しかし、それが楽しい。なぜ書かないでいたかは、これを忘れてしまっていたんでしょうね。
 皆様、批評をよろしくお願いします。