ダレガツクル、ダレニツクル

料理は親やパートナー任せで、インスタントラーメンすら出来ないという三十代後半の知人がいる。パートナーの妊娠中も周囲の手を借りて過ごしたらしいが、そっちのほうが余程やりくりが大変そうだ。皿洗いや炊飯器の扱いはできるらしいのに、なぜ出来ないと公言して平気なんだと不思議に思っていたが、その人も福祉職で、このご時世である。やはり仕事でどうしても食事を作らねばならなくなり、目玉焼きなどを家で練習をしては現場に出ていると聞いた。
 昨日は居酒屋で「料理が難しくて自炊しない」という若い人が「メニューを決めてそれを作るのが大変で」とぼやいていた。直後「メシなんてあるもので作りゃいいんだよ」と料理自慢のお説教がメラメラ燃え上がっていたが、この人の場合、玉子焼きはできると言ってたからある程度スキルはあるのだろう。
 「料理ができない」と言う人は結構いる。本当にできない人から、「一通りはできるけど、これはできるといえない」というように目標値が高すぎる人までも同じように言いがちなのは、あれは一体何なのだろう。毎日弁当を作ってくる人に、「おいしそうですね」と言うと「いや料理が下手で…ブリの照り焼きとかいつもイマイチで…」などと答えられたこともある。自らバーを上げすぎだ。 
 映画「体脂肪計タニタの社員食堂」に出てくる栄養士も料理スキルが著しく欠けているという設定だった。あれはどこまでが実話なのだろう。体脂肪率40%の体脂肪計のメーカー、タニタの副社長が、学生時代から比べると激痩せして変貌した栄養士の同級生春野をスカウトして、社員食堂の食事を改善しようとしたものの、初っぱなから、ごぼうの笹がきができず、スタッフ達に呆れられるという一幕があった。しかし、彼女が立てる献立は太ってしまった人の心理に配慮し、考え抜かれたもので、周囲は次第に協力的になっていく。春野のダイエット理論によるレシピが、体脂肪計の売り上げにめでたく貢献したというが、現実の世界でもタニタのレシピは大変な売り上げである。モデルになった栄養士のインタビューを見ると、バンド活動などもしていて、ずっと食事づくりばかりしていたわけではないようだが、保育園の給食に関わったことが、後の食堂運営にも生きたと語っていることから、料理ができないということはなかったのかもしれない。
 ただ、スキルがなくても、今は学校を卒業すれば調理師免許を持つことも可能だろうし、栄養士の資格さえ取れたりする。タニタは一栄養士のおかげで社運があがったが、その一方で世間には、名ばかり栄養士、形ばかり調理師の手によって、どうしようもないほどメシマズな社食、給食もこの世には数多に存在する。コストとノルマだけ考え、食べる相手のことを考えない食事というものが。
 だからこそ、食べる社員のことを考え抜いて提供されたというタニタのレシピは、料理本の世界で一人勝ちしたのではないだろうか。
 テレビをつけたら、おりしも長崎の加津佐で、49年間学校給食を作ってきた給食のおばさん安永さんに、地域の親と子が感謝を伝えるという番組がやっていた。
 たった一人で始めた学校給食だという。地域では、おやつを買う習慣がなかった昭和三十年代。安永さんは夜遅くまでかかって、かるかんを作って出した。そして肉の入ったカレーの味も子ども達は安永さんから教えられた。現在も、給食ぎらいにならないように、一年生の最初の給食にはカレーを出すという。廃校に伴って給食のおばさんを辞めるという安永さんから地域の人に最後にふるまわれたのは、豚肉のカレーに皿うどん。親子二代で安永さんの味を惜しんでいるのは、何ともいい光景だった。
  2014.5.24