あの日のやきそば

仕事の一部であるグループホームの朝食づくりも、時と共に経験値が上がるにつれ、何とか軌道に乗ってきたが、諸事情から少しハードルがあがった。他のホームにも配食する必要が出て作る量が増えたためである。
食数が増えても、朝食なので、ヘビーローテーションの献立といえば、野菜の煮たのか炒めたもの、卵料理、ウインナー、高野の卵とじ、ビーフンだか春雨を使った料理、サラダなどあっさりしたものが多いのだが、今までの感覚で作ると、食材の嵩が足りない。
 家事のことを主体に取り上げた雑誌には、よく「カサ増しメニュー」という言葉が踊っている。おかずの味を変えてしまわない野菜や乾物でおかずの体積を増やすという意味の言葉だが、このところ、葉物が高騰しているので、嵩を出すのも大概でない。
 今日も今日とて嵩を求めてスーパーをうろつき、やきそば三食パック198円という特売を見つけた。よしよし、これはありがたい。賞味期限が長いのをいいことに幾つか買い込む。粉ソースのついているタイプのものである。
 次の朝、野菜や肉を炒め、火が通りかけたところで麺を投入した後、少し水分をいれて蒸し、麺をほぐして粉ソースを投入して味をつけた。
 出来上がったやきそばは薄味で、麺にところどころ焼きすぎの部分が出てしまい、全体的にまだらな感じである。どうも、仕上げあたりで同時に目玉焼きを焼いていたのが敗因だったような気がする。苦情はこなかったが、買い込んだ麺がまだ、たくさんあるので、休日の昼にも作ってみた。
 火を通した具に麺を入れて更に炒めると、具もシャキッとしないので、焼そばはレンジで熱を入れ、投入して液体のソースで炒め合わせた。味は多少濃くなったが、ソースの糖分のせいか何なのか、やはり麺が焦げる。
 「何でこんなに薄味で、麺が焦げるんだ」という自問自答が口から漏れていたのだろう。それから日を置かず、他の職員が、昼にやきそばを作ってくれた。味は濃く、麺がつやつやした茶色で、少なめの具には焦げがない。その人のコツは、麺と具を別々に炒めて、麺を炒める時に油をケチらないことと、粉ソースの場合、麺の味つけをしっかりしてから具と合わせるといい、ということだった。
 同じ材料を使いながら、こんなに違う形状のものが出来てしまうことに驚きながら『ビジュアル版 調理以前の料理の常識』(渡邊香春子 講談社)を開いてみると、「焼そばは、麺に少し歯ごたえがあるほうがおいしい。そのためには、最初に麺だけ少し焦げ目がつくくらいまで焼いておくこと。ここで麺の表面を固めておくと、野菜と混ぜてもべたつかず、歯ごたえのバランスもとれる。」とある。
 麺を焼きつけて、歯ごたえの違う部分が出てもいいようだが、自分の知っているソースやきそばは大体ソフトな仕上がりのものが多いので、念のため、『ESSE別冊 そこが知りたかった!料理の基礎』(調理・伊藤睦美/樋口秀子 フジテレビジョン)を見てみると、「固まってなかなかほぐれない蒸しそばも、電子レンジで加熱しておけばぐっと簡単に。電子レンジがない場合は、まずそばだけを先に炒めて取り出しておき、具を炒めてから合わせます」とある。92年に出た本なので、「電子レンジがない場合は」とあるが、このあたりから、「麺をレンジで加熱しておく」という下拵えはどうやら一般化してきたようだ。
 2010年の『オレンジページ2/17号 「3玉焼きそば」アレンジ」には、「袋から出した麺をそのまま炒めたら、麺が切れたり、固まったり…。そんな失敗を防ぐには、麺を炒める前のひと手間が大切です。まず、耐熱皿に麺を2玉のせ、酒大さじ1を回しかけて、手でかるくほぐします。あとは、ふんわりとラップをかけ、電子レンジで1分ほど加熱し、取り出して軽く混ぜればOK。」とあり、2013年の『stillさんのはじめてのお料理』(宝島社)の「絶品ソース焼そば」には、特にエキスキューズもなく、「麺は袋から出し、電子レンジで40秒加熱しておきます」と野菜や肉と合わせる前の手順として書いてある。
 シンプルなやきそばと言えど、時代によって作り方はいろいろ変化してきているが、違いが出やすいものだけに、やきそばには、それぞれの家庭の味が反映されやすい。
 小学生の頃、土曜に剣道の練習を終えて家に帰ると、パンメーカーがおまけでくれる白い皿に、よくやきそばが作り置きしてあった。寒い地方に住んでいたけれども、あたためもせず食べたものだ。冷たいまま食べると肉はきしきしとした噛みごたえで、キャベツはくったりとして、じつに淋しい味がした。
 最近、実家に帰っても、こういうやきそばが出ることはない。孫達に作るやきそばはふわっと柔らかく具だくさんなものだ。父は「かあさんの料理はうまいんやで」とよく言うようになったが、自分が家にいた頃、母親が料理上手だと思ったことはあまりない。昭和60年代当時の母は、螺子工場のパートにえらく打ち込んでいて、朝出ていくとなかなか帰ってこず、家にまで検査の仕事を持ち帰ってゴロゴロ深夜までやっていた。それ以前、団地に住んでいた頃は出来合いのものを殆ど食べたことがなかったため、逆にレトルトのハンバーグに憧れたものだが、昭和51年に引っ越してから、母の料理は出来合いと手間抜きの時代に突入。
買ってきたウズラ卵のフライと焼き肉のタレで炒めた肉野菜のが本当によくおかずに出てきたと、恨みがましく母親に言うと「そんなことあらすか、あんたの勘違いやて」とぬか漬けの具合を見ながら、母が言い返す。
教師の仕事を完全に引退して、畑を耕しながら四六時中家にいる父にとって、ちゃんとした母の手料理が還ってきたことは喜ばしいことに違いない。しかし、私にとっては、多忙に侵食されて不味かったとはいえ、あのやきそばも郷愁の味である。
母親の出してくれた野菜がシャキッと美味しい焼き豚を使ったチャーハンを食べながら、昔に食べた、冷凍のミックスベジタブルが具の味気ないチャーハンの味を、どこかで探してしまう。これはどうやら一生続きそうである。
2014.12.24