盃をほした詩人

いつまでもコートをしまえないような気候も一段落したと思ったら、あわただしい年度末がつむじ風のようにやってきた。オズの魔法使いのドロシーよろしく急に新年度の平原に放り出されたかと思えば、もう桜が散りそめている。
こんな時期に読むと、しみじみとした気持ちになる詩がある。中桐雅夫の「会社の人事」は、勤め人なら誰しもどこかに持つ、あきらめてきたことどもへの哀感をうまく掬いとっている。
人一倍愚痴っぽい身の上としては、詩の前半の、酒席でクダをまく人のスケッチに苦笑すると共に「子供の頃には見る夢もあったのに/会社にはいるまでは小さな理想もあったのに。」の結びを見て、何となく生きてきてしまった越し方を省みることとなる。
 『美酒すこし』は中桐雅夫の妻、中桐文子の自伝である。中桐雅夫のことや、「会社の人事」の背景を知るために
手にとったが、この本を読んでも中桐雅夫の仕事のことは、あまり見えてこない。読み取れるのは、坊っちゃん育ちの夫と無遠慮な姑に翻弄され、戦後の生活苦を必死にやりくりしきった女性の苦闘である。
 中桐雅夫と文子は、文子が最初の結婚に破れ、神戸で英文タイプやピアノを習い、文学にも親しんでいた頃に学生だった雅夫と出会った。戦時下、文学を志す若者への弾圧から必死に逃れ、追い立てられるような状況下で結婚。
 「おかずを煮る。鉢にあけて、たったひとつの鍋を洗い、おつゆを作る。できあがったものを並べるところもない。まごまごして小さなちゃぶ台を上がり框にひきよせ、配膳台の代わりにする。何とか知恵を絞ってやりくりしているのに、彼は酒のないのが寂しくてしょうがないのだ。」
 最近、平林英子や、保高みさ子など、家庭を支え、あらゆる賃仕事で収入を得、実は夫より筆で稼いでいたんじゃないかという文士の妻の自叙伝を立て続けに読んでいたところだ。どれを読んでも必死に稼いだお金を呑まれたり、相談なく事業に使われたりという悲嘆が共通する。「何をそこまで、そんなにしてまで支えるのか…」と疑問が湧いた。愛憎というものが濃い時代は、家計がどうであれ、所帯を持つことに日本人の大半が意味が見いだせていたようだが、今の世の極端な非婚は何が原因なのだろうか。
 ピアニストになりたかった文子が、ミシンで賃仕事を請け負い、必死に稼いだとさらりと書いてあるが、確かに自分に記憶がある40年前は、服といえば母親が縫ってくれるものだったが、料理技術も必要がなければ落ちてゆくが、裁縫だってそうなのだろうな…と本筋と関係ないところで筆者の生活力に圧倒された。
 この本の最後には鮎川信夫が中桐雅夫に対して追悼文が載っている。友人の妻に対して労りに満ちた長めの解説があるからこそこの本は印象に残る一冊となっている。
 中桐雅夫は生涯愛した酒によって病を得、ある日書斎で倒れて絶命したという。
 何をそこまで飲んでしまうのだろうかと、酒に救われたことが無い者は思ってしまうが、それこそ人事異動で慌ただしい毎日、たまには花の下で盃を傾けて、心を満たせたらな、としみじみ思ったのだった。
2014.4.4