何を探してこの道を

ピック症候群の妻を介護する男性がテレビで紹介されていた。六十も後半に差し掛かった妻が急に甘いものを好んで食べ出し、おかしいなと思っていると豆腐や大根など毎日同じものばかり買うという不可解な行動が増えていく。そしてついにピック症候群に特有の極度な徘徊行動が始まる。妻が無事であるようにと、夫は不眠不休の介護生活に巻き込まれ、やがて体力、気力の限界を感じるようになった。知人のアドバイスにより介護の支えを求めて介護施設を頼っていったものの、あまりの行動の激しさに、ピック症候群は見られないと軒並み断られる。「まぁ、いっしょに死のかって思いましたねぇ」と坂上二郎によく似た温顔の男性は中京圏のイントネーションだった。
結局、妻の介護を引き受けてくれる施設が見つかり、ナレーションでは「専門家のおかげで奥さんは落ち着きました」という結末になっていたが、見たところでは、グループホームぐらいの規模の生活施設のようである。きっと僅かな人員をやりくりして、困窮した家庭を支えているんだろうと想像して、溜め息が出た。
 公開中の映画「チョコレートドーナツ」にも、主人公のダウン症の少年が、養護施設に収容され、そのたびに出ていってしまうという情景が何度か出てくる。主人公のチャーミングな演技が光っているだけに、ラストの寂寥感といったらない作品だが、夜の市街を人形を抱え、彼は何を探して歩いていったのだろう。
 数年前に逝った父方の祖母は、白内障の手術がもとで認知症がすすみ、ある時期は、目が悪いはずなのに、夜中になると戸外に出たりするので目が離せなかった。ある時、明け方に目が覚めて外に出ると裸足の祖母が畑にいた。何に駆り立てられたのか。すべてが青い中、白っぽい寝間着で全くの無表情で立っていた姿が忘れられない。
 春に流れていたニュースによると、認知症やその疑いがあり、徘徊などで行方不明になった人が2012年には、警察に届けられたケースだけで9607人になったという。このうち、死亡が確認されたのは112人。三割が独居ということだ。
 ニュースは、行方不明になる前の手立てとなる行政対策を報じていた。
 しかし、この人口の減少一方の日本で、一万人にも及ぶ人が、どこかを目指して消えていくというその心理や脳の働きについては、ぼやっとした説明しかないのが、そういうものかなと思いつつ、そんな程度の解明では太古の昔とそう変わらないじゃないの、とふたたび溜め息が出る。
 出ていってしまった人を何時間も探して、やっと見つかった日に作ったかきたま汁の味は忘れられない。それを啜った瞬間の安堵は、今も思い出すことができる。
 リメイクされた「若者たち」のテーマソングが街に流れているが、あの歌を聞くたび、複雑な気持ちになる。あれは、今の若者に捧げられているのではなく、かつての若者が何処かに大量に消えようとすることへの悲痛な呼びかけのように、この耳には聞こえる。
2014.8.9