食べて飲んで愛を歌えば

イギリスのオーディション番組で、初代の優勝者となり、今は歌手となったポール・ポッツの自伝的映画「ワンチャンス」が公開された。
映画を観る前に、ポール・ポッツが自分よりいくらか年下であることを知った。本人も「まだ生きているうちに自伝的映画が作られるとは」と来日時に発言していたが、フィクションが含まれているとはいえ、映画に出てくるポールの周囲の人々が、現役で社会生活を送っていることを思うと、世渡りの上手ではないポールをからかってきた同級生が、勧善懲悪的に罰を受ける展開が、小気味いいとはいえ気になった。
 とはいえ、映画自体はウェールズの一般的な青年の生活を垣間見るような感じで、気楽に楽しめる。今、43歳のポールが、二十代後半から近年歌手としてデビューした話が中心のはずだが、彼の地元で過ごす日々は80年代の洋画に出てくる田舎町の世界に近い。ウェールズは合唱とラグビーが盛んで、ポールの父はラグビーで鳴らした過去に気負いがあり、歌を選んだ息子を全く認めない。
 ラグビーをやらなくてもポールには歌があって、そっちに打ち込めてよかった。今はもっと選択肢があるのだろうが、と子どもの頃、山間の町でスポーツ少年団で剣道をしていたことを思い起こす。防具も胴着も誰かのお古を借りて、しこたま叩かれて上達もしなかった。辞めることも思いつかずに竹刀を振り回していたが、土曜の午後の吉本新喜劇も見られず、ラジオも聞けず、選択肢が剣道かソフトボールかという小4からの二年間は、運動向きではない人間には辛かった。 
 学生時代は、スポーツに打ち込み、卒業したら地元の堅い職に就き、夜に一杯ひっかけて寝るのが最上、というポールの父の説教は、まんまこちとら郷里の居酒屋でも聞けそうである。「おまんもよー、よったようなことしとらすと、ちゃんとせなだしかん」(あなたもふらふらしていないで、きちんとした仕事に就きなさい)と、しまいには字幕の文字が頭の中でいちいち田舎の言葉に置き換わってきたくらい、現実味のある台詞がひびく。
 最近の話なんだなーと気づかされるのは、メル友が人生の伴侶になるとか、チャンスがネットから転がり込むなどの場面である。
 「ワンチャンス」とは、転機になったオーディションのことを指すのだろうが、ポールは三歩進んで二歩下がりながらも、小さなチャンスをいくつもものにして、大きな賭けに繋げたように思われる。奇跡的な事柄が映画になっているわりには、驚くというよりは、「それだけの準備をこの人はしてきたのだ」と逆に納得させられる話運びだ。
 この映画には、食事の場面がポールの内面を表現するトピックとして使われている。最初の朝食の場面では、次々と盛られるボリュームいっぱいの温かな料理から、ポールがたっぷりの愛情を母から注がれて育ったことがよく分かる。度胸はないが、自己肯定感は確固とあるというパーソナリティはここから来たのか、と読みとれた。留学先で、仲間のおばあちゃんにパスタを振る舞われ「あんたはそのままで歌えばいい、可愛いおデブちゃん」と頬をつままれている微笑ましい場面もある。
 妻に寄りかかって生きる日々のエゴも疲れて帰ってくる妻を待たず、先に夕食を食べてしまうという姿で表されていた。
何かと慌ただしい年度末、難しいことを考えず、ただ楽しむのには最適な一本であった。
2014.3.24